衝撃的なセリフだった。
「わたしは、被害者としての適性がない」
妻と、子どもを人質にとられて家に立てこもられた、
一流企業に勤めるサラリーマンの井戸。
どんくさい警察にいら立ち、交渉力のある自分に、犯人との交渉をさせてくれと懇願するも、警察に拒否。
ならばと、犯人・小古呂の妻のもとに警察とともに行き、妻から人質解放を説得してくれと交渉するも、決裂。サラリーマン井戸は、もどかしさに怒りを爆発させて、同行した刑事・安直をバットで殴打。ついでに銃を奪い、犯人・小古呂の妻と息子を人質に立てこもる。
刑事・百百山警部に「どうしたんだ?」と電話で問われた時、
サラリーマン井戸が答えたのがこのセリフ。
「わたしは、被害者としての適性がない」
たとえば、誰かにダマされただとか、金ちょろまかされたとか、小さなイヤな出来事があるじゃない、日常的に。そんな時、相手にめちゃくちゃ腹立てて、いつか仕返ししてやろうと恨みを募らせたりする感情の行き先が、井戸の姿なんかじゃないかと思った。
“怒り”は、自分が被害者だと認めた感情表現のひとつで、
被害者意識→怒り→暴力へと変化していく。
最近、日本でも多発している、他人巻き込み型の自殺未遂事件の犯人たちの心の中をのぞいているようで緊張の続く舞台だった。どんどんエスカレートしていく阿部サダヲの狂気と、恐怖に思考が停止してしまった小古呂の妻と息子の行動と。犯罪心理の奥底をみたような、人間の本質の怖さをみせられたようで、痛みを伴う舞台だった。
野田さん舞台で、阿部サダヲが主演なのに、ほとんど笑える場面がなく、緊張と緩和はなく、緊張しっぱなしの芝居。シンプルな舞台美術に、団地の一室がリアルに浮かび上がる。鉛筆と、真っ白なおっきい紙と鉛筆だけなのに。
2回みたが、2回とも、
犯罪がルーティン化していくなかで、目的も、意味も失い、ただただ繰り返される不気味さが怖かった。井戸の手を引き自ら寝室に入る妻と、自ら左手を差し出す息子と、ポストに指を投函するだけの刑事と。
劇場を出た後、なんかスゴイものを見た!という気持ちと、
怖いから忘れたい!という気持ちになった。
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2021年12月19日、21日
@ナレッジシアター
演出:野田秀樹
原作:筒井康隆 ~「毟りあい」(新潮社)より~
英語脚本:野田秀樹&コリン・ティーバン
日本語脚本:野田秀樹
美術:掘尾幸男
出演:阿部サダヲ 長澤まさみ 河内大和 川平慈英
コロナ禍ではじめて、客席通路を歩いて役者が登場して開始となるシーンがあった。
そろそろ、観客を巻き込んだ、客席を舞台と捉えた演劇が復活するかもしれない。
阿部サダヲ、下手通路より、登場!客席どよった。
昭和のサラリーマン風の撫でつけ七三姿、井戸の狂気を表すにはいいヘアスタイルだった。
真っ赤なミニのスリップと、羽織で登場した長澤まさみは、米倉涼子のような女としての凄みも出てた。
オールバックで、真っ赤な唇で、ながくて、まっすぐで、キレイな足。
今回、すっごい大人の女に見えた。役者としての凄みもでて、かっこよかった。
髪の毛をくしゃくしゃにして、顔をくしゃくしゃにして、どもりながら、おどしをかける小古呂役の川平慈英。安直という刑事もそうだったが、あんな悪役をやれる人だと思わなかったし、あの顔が川平慈英と信じられないぐらいの変わりようで、すごかった。
ヘンリー四世のネギ将軍以来、衝撃をうけた河内大和。凄みはあるのに、役に立たない百百山警部がぴったりだった。無能ぶりが、すごくよく表現されてた。伊礼彼方と二人芝居したダム・ウェイター』みたかった。
そして、開演前に流れていたあのヘンな歌詞の曲は伊集院光選曲の「おバ歌謡」というCDに入っている、曲らしい。結構、あたまにこびりついて離れない。このアホでおかしな歌詞と、演劇の内容の怖さのギャップ。ある意味では、通じるものもあるのだけど、あの怖さを緩和する意味でも、あの曲がこびりつくのは仕方ないのかもしれない。
カーテンコール6~7回あったけど、あれはしつこかったな。
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<今日のいちまい>
寒空の中、まだ、朝顔が咲いてる。スゴイで!
きょうは、頭が沸騰しそうなほど怒ったことが二つ。
今日は「休み」と申請したのに、上長からしつこく電話が。
出てみると、今月10日、わたしの労働時間が法規の13時間を超える労働時間になっているから手空き時間を増やして13時間以内にしてくれという、改ざん要求だった。
「大人の事情でさぁ~」と言い出し、
呆れる、汚い、気持ち悪いという感情が瞬時にわいて、そっちで勝手に変えてくれと。
こいつ1月から東京に戻るから、今日が最後の勤務日で、今外なの?どっかでかけてんの?とネチネチ喋りたそうにしてたが、良いお年をとだけ言って、さっさと切る。
今後、一生かかわりたくない。体育会系の大将風ふかせてんのに、ものすごく腹のくくり具合が悪い、卑怯な男だった。大きらい。
そして、まえまえから気に障っていたGoogle検索結果の音声読み上げ。これを停止させる方法が、スマホ、iPad、PCでやりかたが違っていて、方法を探し出すのに一苦労。ひとりの部屋で、知らん女の声が勝手にしゃべりだすのが、本当にイヤで。
こういう小さいことに、怒り狂っているようでは、わたしは被害者意識の塊やなと。「THE BEE」の感想を書きながら、自分の寛容さのない態度を改める。来年は、このあたりをテーマにしよう。
釣り針にひっかかっている魚と同じ状態から、脱出せねばならん。