映画 アイダよ、何処へ? ユーゴスラビア紛争の中で、ボスニア人8000人が銃殺 | 気むずかしい いろいろ

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この惨状に、もう涙さえない。国連軍の無力さ、セルビア人の残虐さに、怒りさえわかない。ただただ、「なぜ?なぜ?なぜ?」が浮かんで、調べたいこと、知りたいことが尽きなかった。

セルビア人を悪とし、ボシュニャク人を被害者として憐れむような、単純な話ではない。場所と時が変われば、ボシュニャク人が悪で、セルビア人が被害者の場合もあるからだ。

 

なぜ、隣人と殺しあわなければならないのか。

なぜ、民族を絶滅させたいほど憎いのか。

なにが原因で、隣人同士がここまで憎みあうことになったのか。

セルビア人は、なにが欲しかったのか。ボシュニャク人はなにを欲したのか。

なぜ、オランダ人部隊が仕切ったのか。

なぜ、国連軍はポンコツだったのか。

 

セルビア人の攻撃から逃げるために、国連基地に2万人のボシュニャク人が詰めかけた。収容できるのは5,000人。国連軍の通訳として雇われたボシュニャク人のアイダは、まず、基地に家族全員収容できるように、あの手、この手で国連軍に交渉する。次に、国連軍が撤退すると決まった時、アイダは国連職員として安全に撤退できるが、家族はダメと言われる。国連職員と一緒に撤退できなければ、息子2人と夫はセルビア人に殺されてしまう。アイダは、家族も一緒に撤退できるようあの手、この手でを使って交渉するも、「キリがないからダメ」と言われ、次はなんとかセルビア人の魔の手から逃れるよう、あの場所、この場所と基地内に家族を隠れさそうとするのだが・・・。

 

 

この状況に、デジャブを感じる。2021年7月に8月31日。撤退するアメリカ兵の飛行機になんとか乗せてもらおうと人が押し寄せたカブール空港の映像。アイダは、いえばあの空港の中で、通訳として雇われた一人だ。それが撤退の当日、自分だけでなく家族を守るため、軍のいろんな人に交渉し、搭乗リストに追加してくれと頼んでいるようなものだ。映画のパンフレットや、映画紹介文に「アイダは、家族と同胞のために奔走した」とあるが、わたしが見た限り、彼女は同胞を救う力が自分にはないと自覚し、家族のことだけに必死になった母さんだと思う。

 

あんな中、同僚や、ご近所さんのために、余計になにかをする余裕はないはず。アイダに助けを求める人をムシする姿を、ヒドイと思う人もいるみたいだが、現実は、家族だけで精一杯だろう。実際、アイダは大佐との交渉で、「せめて息子一人だけでも」と言っている。長男を選ぶのか、次男を選ぶのか、映画の中では答えをだしていないが、我が子でさえ一人選ばなければならない、極限状態だ。

 

この映画を理解するには、ある程度、ユーゴスラビア紛争についての知識がないと難しい。そしてユーゴスラビア紛争は、とても難しい。民族間の紛争となっているが、原因は旧ユーゴの政治家たちの権力欲だ。詳しく書くにはまだまだ勉強不足なので割愛するが、旧ユーゴではもともと民族意識はなかった。どの民族もごちゃまぜに暮らし、同じ文化、同じ言語をつかい、平和な国民性だったとある。ただ、宗教が民族ごとに違っていて、それを政治家が利用したのがこの紛争の悲劇的なところ。

 

けっきょく、紛争と戦争は、金と権力が欲しい支配欲の強い男が生み出す。支配欲の強い男は、敵に命を狙われるのを恐れ、手下に命じて敵の男を次々と殺す。そして、女たちを凌辱して子を産ませ従わそうとする。いろんな“争い”を調べて思うのは、だいたいの紛争や、内戦、戦争はこんなことを繰り返している。

 

人はどうして、人を殺したがるのだろうか。

 

争いを企てる支配者たちは、間違いなくサイコパスだが、支配者に従い人殺しに慣れてしまう人の心理は、どういう変化なんだろうか。

 

ちなみにこの紛争、けっきょく、国連軍ではどうにもならんから、NATO軍が空爆して、アメリカが仲介に入り1995年に終結。あまりもの無能さにオランダ軍は相当非難されたそうだが、わたしにはオランダ軍が気の毒に思えた。

 

アフガニスタン撤退の宣言時、バイデンが言った。「他国のために、これ以上、アメリカ国民の命を失うわけにはいかん」と。国連オランダ軍のカレマンス大佐は、どうしようもない臆病者に映るが、この時期、国連はイラン・イラク戦争後の“支援”という名の、裏金作りに必死だった。平和維持より、金儲けを優先している。だから、出費がかさむ一方のこっちに、まったく興味がなかんたんやと思う。だから、カレマンスの必死の訴えに耳を貸さず、適当な対応になんたんだと。カレマンスの電話の相手は、どういう役職の人だったのか調べてみても分からなかった。あの電話の相手こそ、重責やと思う。名前さえ、明らかにされていない。卑怯者や。

 

調べだすとキリがないので、一度ここで終わりたいのだが、セルビア人側の映画もあるみたいなので、それも観てみたい。

 

わたしが、あの基地内に避難した一人だったらどう動いたか。

フェンスの外の一人だったら、森に逃げただろうか。

このややこしい紛争を、日本で例えたらどんな説明ができるか。

“ただの薬売り”だった土方歳三は、経験もないのにいきなり実践で、戦術たてたり、交渉したりしてすごい人やったんやなと、“ただのピアノ弾き”のカレマンス大佐をみて思ったり。

 

いろんなことを調べたり、想像したり、考えたり。

久しぶりに頭がフル回転して、めっちゃ疲れた。

 

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2020年ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、オーストリア、ドイツ、フランス、オランダ、ノルウェー、ポーランド、ルーマニア、トルコ

脚本・監督:ヤスミラ・ジュバニッチ

出演:ヤスナ・ジュリチッチ、イズディン・バイロヴィッチ、ボリス・イサコヴィッチ、ヨハン・ヘルデンベルグ、レイモント・ティリ、エミール・ハジハフィズベゴヴィッチ

 

 

▼公式サイト。まだまだ上映中

 

 

▼国連の汚職事件

 

 

▼セルビアの指導者だったムラディッチの裁判

 

 

▼紛争を理解するのにこの記事がとても参考になった。

 

 

▼かつてユーゴスラビア人の友達がいたので、ユーゴ紛争をもっと知っておきたいのです。

 

 

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<今日のいちまい>

こいつ、早く結婚したいだけで、仕事まじめにやらんのだろうなと思っていた後輩が、土日も、深夜もサービス残業&勤務していたりする。一緒に仕事をすることになり、はじめて気がついた。

 

わたしの見る目は、まだまだ甘い。思い込みを捨てなければ。そして彼女が、ちゃんと幸せになりますように。休日をちゃんと楽しんでいますように。