舞台 愛が世界を救います(ただし屁がでます) 観客ぜんいんで屁をこいて一体感を | 気むずかしい いろいろ

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レ・ミゼは中止になるは、ナイツ・テイルは中止になるは、とったチケットが連続3枚で中止になり、

ようやく“生”がかなった、「屁が出ます!」。

めっちゃいい席で、オペラグラスなく全員の顔見れたの久しぶり。

たのしかった!

 

これ、ストーリーをようまとめんな。

すごくいろいろなテーマがあるのだけど、根底には“寛容であること”をうたっているのだけど、

クドカンらしい“照れ”を、「屁」で笑いにしている舞台だ。

 

寛容と、屁がどうつながるんだ?と思うが、つながるようにストーリーを作っているのがクドカン作品のおもしろさ。

屁をこくと、ちょっと先の未来がみえるホームレス虹郎。

Wi-Fi電波にのせて、自分の感情を相手の脳に伝えることができる女NON。

どノーマルなのにマイノリティをきどる音楽プロデューサーの大江三千里。

 

この3人が中心となって、“マイノリティとは?”を考えさせられる結構深いテーマなのに、超ポップで、パンクで、ロックな芝居を繰り広げる。ま、とにかく、見ないことには分からないストーリー。憎いのは、90年代J-POP全盛期のネタをめちゃくちゃ盛り込んでいて、分かる人が観客にどれだけいるんだ?というネタだったが、わたしはド真ん中だから超爆笑。

 

わたしの席は上手側で、伊勢志摩が目の前で、ゼエゼエいいながら約3時間、オモシロ担当として存在感を放っていたのに感動した。ほぼ同い年。パタリロのような元たからや、フレディ・マーキュリーな姿や、おっもしろかったな。

 

“マジロックオペラ”とコピーがあるように、出演者はみな(ほぼ)楽器を演奏し、うたを歌う。ライブのような音響で、のんはギターをかき鳴らしながら歌い、村上虹郎は歌をうたい、クドカンはギターを、少路勇介はサックスを、三宅弘城はドラムを。演技をしながら、音楽もやる。すごい集中力や、みな。めっちゃ、よかった。

 

1か月前、WOWOWの生配信があったのだけど、集中してぜんぜんみれなくて。やっぱ、生やな。生やないと。生は、おもしろさがぜんぜんちゃう。ほんまに、おもろかった。

 

のん、めっちゃかわいかった。なんやろうな、あの輝きは。うらやましい。

村上虹郎も浮浪者の格好で、屁ばっかこいてんのに、“背負う”雰囲気がめちゃいい。孤狼の血でも、めちゃくちゃいい演技してたし。

 

深いテーマはあるけれど、深いことを考えず、爆笑しながら観られる芝居。当日券の販売もまだまだあるようです。笑い人には、おすすめ!

 

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2021年 @COOL JAPAN OSAKA WWホール

作・演出:宮藤官九郎

音楽:上原子友康(怒髪天)

美術:小泉博康

出演:のん、村上虹郎、三宅弘城、荒川良々、伊勢志摩、少路勇介、よーかいくん、YOUNG DAIS、宮藤官九郎、藤井隆

 

舞台、初観劇の人たちも多くて、芝居中にしゃべる人が結構いて。芝居中にしゃべる奴は、どういう心理が働くんだろうな。映画館で見るときに、しゃべらないはずなのに。なんで喋るんやろうか。なんでその場で、共有したがるんやろうな。

 

 

大人計画は、演者が客席におりてきて、客席に座ったり、お客さんをいじったりして、観客との一体感を作り出すのが得意なのだけど、コロナ禍ではそれができないから。それでもやっぱり、観客と一体感をだすために用意されたアイディア。劇団運営たいへんなのに、こんなにお金かけちゃって。

 

ありがたい。

 

劇中で使うものとは別に、お持ち帰り用のものあり。これ、どうするんだろう、わたし??

 

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<今日のいちまい>

HARIOの薄型のボールを割って、指をきった。チクチク痛いから、小さい破片が皮膚に残ってる様子。丈夫設計のボールなのに、角にあたって割るだろうなー、と思ったら、案の定割った。

わかってるなら、やめたらいいのに。

未来がわかっていても、止められんのよね。