昭和20年(1945)7月28日の艦載機による機銃掃射を目撃した人々の証言第4弾です。

 これまでの証言は、現在の出雲市内の各所での証言でした。

 今回からは、出雲市外の様子に関する証言を紹介したいと思います。

 出雲市の東に隣接する松江市宍道町での証言です。

 『語り伝えたい 戦後七十五年史』 雲南市遺族会 2020.1刊には、たまたまその場に居合わせた雲南市加茂町の槙原さんの証言が掲載されています。

 

⑥ 山陰本線宍道駅の様子 【雲南市加茂町 槙原 茂さんの体験】
 出雲の病院へ向かうため、汽車が宍道駅に到着して降りようとしている時、突然バリバリというすさまじい音がしました。

 列車の中は大さわぎになりました。
 だれかが「みんな伏せろ!」と叫び、母に抱かれた私(当時5歳)は、座席の下へ身をかがめました。

 米軍機の機銃掃射を受けたのです。

   ずいぶん長い時間息をひそめていたように思います。飛行機の爆音がまったく聞こえなくなった頃、

 「もう大丈夫だ」という男の人の声が聞こえました。

 おそるおそる座席の下から顔を上げてあたりを見ると、デッキに近い窓ガラスが数枚粉々に壊れていました。
 

【写真 山陰本線 木次線宍道駅の様子~木次線利活用推進協議会事務局HP(雲南市政策企画部)】