大田市立北三瓶・志学小学校の子ども達との平和学習のため、北三瓶まちづくりセンターからご紹介いただいた方々からお話を聞きました。
 国民学校高等科時代が、太平洋戦争末期と重なり、校庭や山を開墾してサツマイモなどの畑にしたこと、イチゴ・イタドリ・わらびゼンマイ採り、学校から田儀駅まで兵隊さんへ送るモチを背負って歩いた思い出、湖陵の西浜へ塩作りに行ったことなど、勤労体験のお話が次々と出てきました。
 また、魚の配給があった時、その中に「フグ」が混ざっており、母は子ども等に身の部分を食べさせ、自分は残りの内臓を食べたために、中毒になって亡くなってしまったお話も聞きました。
 気になっていた写真「栗のイガを窪田へ運ぶ子ども達」についてもお話を聞きました。
 「集められた栗のイガは何に使われたのか」という一番の問題については、「薬になったらしい」というお話でした。栗のイガは、秋に収穫したものを集め、天日干しにしたそうです。イガにはタンニンが含まれていて、かぶれ・あせも・やけど・のどの痛みに効くため薬にされたようです。
 当時、鉄製品は金属供出されていたため、竹で作った火ばさみでイガを採っていたそうです。また、「山口村から歩いて小屋原や浮布池の方へ行くと、たくさんの栗の木があり、落ちているイガをたくさん拾った。」という当時の作業の様子も分かりました。

【写真 栗のイガを運ぶ山口村国民学校の子ども達】