太平洋戦争下の出雲市大津町の様子が『出雲市大津町史』に描かれています。
 その中に掲載されている昭和16年から19年の
「大津小学校沿革誌」に残る記録です。
昭和16年…少年団結成
昭和17年…高等科と56年生男子が防空少年隊・海洋少年隊を結成
昭和18年…
4月14日:斐伊川畔開墾作業(現在のゴルフ場周辺)
9月 4日:高等科1年生が海洋訓練(海洋道場5泊6日)に参加
昭和19年…
7月18日:校庭を開墾し、サツマイモ栽培(21日まで作業)
6月22日:新たに新田3反5畝歩の田植え
三谷山で炭焼き作業(森広儀一氏指導)
高学年が西浜海岸で塩作り(西浜校で2泊3日)

10月16日:高等科2年男女は鐘紡その他の工場勤務へ出動
今市工業学校は1階が呉工廠の分工場
今市高女は校舎半分を広島被服廠の分工場

昭和20年…
5月5日:チ号演習地の構築要員(数十人)宿舎として校舎の一部を提供
大津中山丘陵に高射砲3門設置。監視員・兵隊100人は西光寺を宿舎とする

7月28日:川跡村小学校児童が斐伊川の来原で遊泳中及び大津の児童が神立橋附近で遊泳中に機銃掃射を受ける。

 

 この記録からも、日に日に戦争が大津の街に忍び込み、色濃く大津の人々の前にその姿を現していく様子がうかがえます。

 その中で、学校が軍需工場や兵舎になったり、児童生徒たちが勤労動員に駆り出されたりする姿が記録されています。

【海洋道場でのグライダー訓練生】