高尾山(日御碕)歴史探訪登山を実施しました | PIECE of PEACE 島根教師の会

PIECE of PEACE 島根教師の会

私たちのふるさとに残る戦争を伝えよう

 2024年4月27日(土)の午前中、予定通り出雲市日御碕にある高尾山へ太平洋戦争時の戦争遺跡を巡りながらの登山を実施しました。出発当初は曇り空で気温もあまり上がらず、心地よい風が吹き通る若葉のトンネルとなった登山道をゆっくりと登りました。
 この高尾山道路では、昭和17年(1942)の1学期、日御碕国民学校の3年生以上の児童が、数回にわたって砂やレンガを運び上げる勤労作業に当たりました。
 地元の日御碕の人々や大社中学校、高等女学校の生徒、近郷の青年団、簸川郡や出雲市の生徒たちも、毎日入れ替わりで作業に当たっていました。
 また、石工や大工、左官も通行し、とても賑やかで人の跡が絶えることがなかったと言われています。現在は、樹々の中に、レーダーの台座や兵舎跡、防空壕跡らしき穴が、登山道附近にひっそりとその姿をのぞかせているだけです。

 太平洋戦争中の高尾山に関する参考図書は、

『大社の史話136号』木村佳雄「嗚呼、高尾山」

『島根の戦争遺跡』戦後史会議・松江

が参考になります。

【高尾山にある海軍特設見張所・レーダー跡】