昭和19年9月23日に島根県入りした大阪西区・西船場国民学校の子ども達は、翌週末に地元国民学校への登校が始まりました。
 学校へは週に2回午前中の登校でしたが、勉強以外の勤労作業はどんなことをしていたのでしょうか。

 『出東だより』には、10月の勤労作業の様子が次のように紹介されています。

10月11日(水)…

学校から依頼され、5年生がイナゴ取りに出かける
10月12日(木)…

午前中に荘原村にある村有林へ薪取りに出かける
10月13日(金)…

児童の発議でイナゴ取りに出かける
10月14日(土)…

出東国民学校高等科2年生の勤労動員の壮行式
10月26日(木)…

国民学校はこの日から農繁期の休業に入る
国民学校の5年生以上…

出征・戦没遺家族の家へ稲運び〔終日〕
4年生以下…家庭の手伝いを午後行う〔半日〕
疎開児童…男子は稲運び、女子は米俵の外包みを編む


 全国どの地域においても、国民学校の児童と言えども「少国民」として体を鍛え、一人前の労働力として期待されていました。

 国民学校高等科〔現在の中学校〕の生徒は、遠くまで勤労奉仕に出かけていました。
 小学生である初等科の児童は、農繁期には自分たちの村内の農家へ田畑の手伝いに入りました。
 
出東地区の農繁期は10月26日から11月4日までの10日間。

 高学年児童は学校を休み、終日地域の農家の手伝いに入りました。

 4年生以下は午前中で勉強を終え、午後から自宅の農作業に汗を流していたようです。
 この10月14日から12月23日までの期間に、保護者の面会が許可されたようです。
【桑の皮を大八車で運ぶ児童の様子】