私がかつて教員の仕事をしていた頃、職場は異なりましたが同じ市内で同じ職として働いていた先輩から手紙をいただきました。
 懐かしくその手紙を読む中で、戦争や平和についての新たな気づきを与えてもらいました。
 それは、
絵本『赦しの花』にまつわる太平洋戦争末期から戦後にかけての中国での話です。
 このお話の内容を「地球村」のホームページ掲載文から紹介したいと思います。
(https://chikyumura.org/2009/09/post-557.html)

【ホームページ紹介文より】
 この絵本は、中国の収容所から帰ってきた元日本兵の実話です。
 昔、中国の撫順には、戦犯管理所がありました。
 かつて満州と呼ばれて日本領だった頃は、中国人の政治犯が大勢収容され、その中で多くの人が命を落としました。
 絵本なので詳しくは描かれていませんでしたが、 「記念写真を撮ってやるから並べ!」と命令しておいて、一斉に撃ち殺すなど、残虐な行為があったそうです。
 日本の敗戦のあと、今度は日本兵1000人が収容されたのですが、管理所の中国人の所長は、収容された日本兵に対して、捕虜としてではなく、人間的な扱いを行ったそうです。
 兵士たちは、3度の食事をとり、治療を受け、散髪をしてもらい、絵を描いたり、本を読んだりして毎日を過ごしました。
 恨まれ、憎まれているはずの相手が、自分たちに怒りをぶつけてこない。
 それどころか、自分たちが食べてもいない白米を出してくる。
 戸惑い、いぶかりながらも、穏やかな日常の中で日本兵たちは、自分たちのおかした過ちに、自分たちで気付いたのだそうです。
 「なぜ殺してしまったんだろう!」
 「どうして簡単に殺せたんだろう!」
 そこからは、兵士たちの罪の告白と懺悔が続いたそうです。
 やがて、兵士たちが日本に帰れる日が来たとき、所長さんから、朝顔の種を一つまみずつ手渡されたのだそうです。
 「もう二度と武器を持って大陸に来ないでください。
 日本へ帰ったら、きれいな花を咲かせて幸せな家庭を築いてください。」と…。
 それからずっと、託された種を九州で育てている副島さんというおじいさんの話を、「撫順の奇蹟を受け継ぐ会九州支部」が、一冊の絵本にまとめました。
それが、絵本『赦しの花』です。


 手紙を送っていただいた先輩は、過去に中国帰還者連絡会島根支部が開催した証言を聞く会に参加され、この話とアサガオの種に出会い、一人でも多くの人に事実と種を届けたいと、永井隆平和賞への応募もしたということでした。
 封筒には、その応募作品のコピーとアサガオの種が同封されていました。
 
戦争の悲劇とは、「戦争被害」だけではありません。
 非人間的な行為が思考停止の状態で次々と行われた「戦争加害」の事実も忘れてはならない戦争の悲劇のひとつです。

 私も、いただいたアサガオの種をこの春に蒔き、花を眺めながらこの話を思い出し、周りの方々へも事実と種を広げていきたいと思っています。
 この本はすでに絶版になっているようです。

 島根県内の公立図書館では、雲南市内の図書館が所蔵しているようです。

 
【絵本『赦しの花』の表紙】