平和学習「私たちのふるさとに戦争があった頃」を実施するための児童用資料作りを進めています。現在は、昭和20年7月28日の山陰空襲の証言集をまとめる作業を行っています。
 そうした中、大社基地主滑走路の西側で土木作業をしていた今市農業学校1年生だった方(当時)の証言に出会うことができました。

  その証言は次のような内容でした。
 
〇大社基地への機銃掃射が、西から東方向へ旋回して何度も行われたこと
 〇敵戦闘機の高度が斐伊川堤防の上空2~30mくらいであったこと
 〇機銃弾がすぐ近くの地面に打ち込まれる様子

 私は、この方の証言を読み、「その現場は何処で、どのような様子だったのかもっと詳細に知りたい。」と強く思いました。すぐに該当地区のコミュニティセンターへ問い合わせ、その方からお話を聞くことは可能か調べていただきました。昨日その結果を知らせる電話をいただいたのですが、「残念ながら、すでに亡くなっていらっしゃいます。」という回答でした。
 もっと早くこの証言と出会っていたなら…と、とても残念でしかたありませんでした。
証言の中に
「この日は、出西村の新川廃川地で土木作業でした。東の仏経山の上空に大型1機、小型4~5機の飛行機が飛んでいるのを見ながら…」という記載がありますので、主滑走路と斐伊川右岸土手との間の廃川地内であることは推定されます。
 
この方は、当時の出来事を手記に残されていますが、たくさんの貴重な体験が次々と消え去って行っていることを肌で感じる出来事でした。
【出西堰から北方面を望む】