~1944年9月大阪西区西船場国民学校が久木村国民学校へ到着・対面式~

【写真『斐川と学童集団疎開』H13.3刊 斐川町より】

 

 アジア・太平洋戦争末期の1944(昭和19)年9月、大阪西区の13の国民学校の児童約3,000人が島根県へ学童集団疎開実施しました。

 翌1945(昭和20)年5月には、大阪府内へ疎開していた国民学校も含めた10校1,000人の児童が島根へ再疎開してきました。

 しかし、そのころには、現在の島根県出雲市斐川町出西に本土決戦に向けた海軍大社基地が建設中だったのです。

 そして、1945(昭和20)年7月28日、この大社基地を攻撃目標とした空襲が行われたのです。戦場化していくふるさとの姿についての学びを通して、戦争は「大都会だけでなく、当時のすべての人を巻き込み、日本中どこにでもあった」という事実に気付いてほしいのです。

 ぜひ、あなたも実践してみませんか?