自身の学童集団疎開の体験をまとめた『僕の戦争/三宿小学校の学童疎開』川原基尚・川原芳子・文芸社2023という書籍があります。
 東京都世田谷区立三宿国民学校は、8月13日に長野県東筑摩郡山辺村湯原温泉へ集団疎開のため出発しました。
 筆者は当時6年生で、その時の自身の記憶や友達が書き残した日記の内容が紹介されています。
【出発の様子】
〇出征兵士の見送りのような雰囲気の中、万歳の声に送られて出発した
〇家の工場の人たちのたくさんの提灯に見送られた
〇母は、わが子と生きて会えなくなるのではと思い、涙が止まらなかった
〇子どもらは遠足気分ではしゃいでいた

 この風景や親子のそれぞれの気持ちは、全国どこも同じ様子だったことがわかります。
 大阪から島根県へやってきた国民学校の出発風景も同様な様子でした。
 親の見送りは学校まで。疎開する子ども達は遠足や修学旅行へ出かけるような楽しい気持であった一方、それを見送る親たちは、これが我が子との最後の別れになるかもと覚悟を決めた人々が多かったようです。
 中には、「私たち家族に何かあったら、先生からこの遺書の内容を子どもに伝えてほしい」と、引率の担任に密かに「遺書」を渡した親もあったと記録されています。
 そして、実際にこの出発式が最後の別れになった親子があったのです。
 戦争とは、親と子とを強引に引き離し、家族も消滅させてしまう悲惨なものなのです。

【『僕の戦争/三宿小学校の学童疎開』表紙】