最近よく政治系のYouTube番組を見ています。

 

日本保守党おもしろいですね!

百田氏、有本氏の意見に全面的に賛同してる訳ではないですが、なんとなく応援したいと思ってます。

 

 

日本保守党に対して攻撃を仕掛けてくる人々も多くいるようですね。

飯山氏の言う「JKISWA(?)」の学者・教授連中については、利権構造があまりにもわかりやすく攻撃する理由もはっきりしていると思います。根底はNHK問題と一緒で、既得権益にしがみつきたい老害どもの精一杯の攻撃だと僕は理解しています。

 

 

今回考えたいのは、急に日本保守党をたたき始めた比較的若めのインフルエンサーたちについてです。

 

 

まずはKさん。

以前よく見てましたがなかなかいいことを言う若者だと思ってました。

久々に見てみたのですが、まあ真っ当なことを言っている。。。

が、日本保守党の話題になるとそれまでのロジカルな論調が一転、急にはっきりした理由も示さず日本保守党及び支持者をバカにしてるように感じました。

 

 

次にJさん。

まあこの人はもともと百田氏とそりが合わなかったっぽいので、まあいいとしておきましょう。

 

 

 

 

で、問題のYKさん。

実は今でもこの人の動画はほとんど見ています。

興味深い話題を取り上げ、人を惹きつける独特な口調で分かりやすく解説してるので飽きずに見れます。

・・・が、日本保守党については真っ向否定。

あれだけ仲良かった百田氏に対しても完全否定の方向。。。

 

ただ上記のKさんとの違いは、具体的に日本保守党の方のコメント等に対してどのように自分の考え(彼の言う”事実”)と違うかを話している。その点はまだ好感が持てるのですが。。。

 

いくつか動画を見ているうちに感じたのは、完全に自民党寄りの意見しか言わなくなって、自民党を否定するものに対してはすべて口汚く罵っているってこと。

この方は自分でも言ってるけど、自民党幹部からいろんな情報をもらったりしてるみたいで、自民党の宣伝要員となっているみたい、あまり好きな言葉ではないけど、僕的にはもっと「是々非々」で話してほしいかなと。。。

 

 

 

それで、なぜ比較的理性的なYKさんが一番問題と感じたかと思ったかというと。。。

この流れの発展形が戦後日本を蝕んできた金権政治ではないかと思ったからです。

 

最初は自分自身の意見を述べていた者が、権力に取り込まれることによりその権力に対し従順な行動しかできなくなる。

その見返りとして何らかの利権を与えられる。(現時点で自民党からお金をもらってるんじゃないかとかそういう意味ではありません。)

その利権を手放したくないからもっと従順になっていく。

 

もしそうだとしたらとても残念な話です。

 

 

 

 

冒頭に戻りますが、僕が日本保守党を面白いと思っている理由は、そういった金権政治とは対極の位置にいると見えるからです。まあ、百田氏も有本氏も生活に困らんお金はもってるだろうし、利権や金銭で自分の考えを変えないと感じたからです。

 

多くの人々が僕と同じような「感覚」を持っているかどうかは、例えばYouTubeの再生数がはっきりと物語っているのではないでしょうか。。。?

 

 

とにかく、結構期待していたインフルエンサーたちが徐々に権力寄りに落ちていく状況にあるのだとすれば、彼らに方向転換を期待するより、何があっても自分自身を曲げない有能な人(例えば浜田議員や石丸市長)がもっと出てきてくれることを待ちわびる日々です。。。(僕に力があればなんとかしたいのですが。。。(^^;)

電車、バスなどで空いている席の前で立っている人を見かけると違和感を感じます。。。

 

いや、ガラ好きの車内なら個人の勝手なのでいいのですが、そこそこ混んでいるときは一人でも多く座れば車内にスペースが生まれるはず。で、座りたくないなら空いている席の近くから離れればいい。空いている席を通せんぼするように立っている人は、いったい何が望みなんだろうか???

 

そこで、ちょっと考えてみたのですが。。。

 

これって「自由主義」と「民主主義」の関係に似てる気がしてきました!

 

空いている席の前に立っているのは個人の自由だと思います。

でも公益性を考えると座るかどけるかしたほうがいいはず。

 

・・・なんと当たり前の話をしてるのか、自分でも恥ずかしくなってきましたが。。。

 

しかし似たようなことが日本社会全般におきているのではないかと思い始めました。

 

自分、もしくは自分のグループの利益のみを求める自由主義者、つまりリベラリストが公益性を無視した自分勝手な要求を突きつける、この端的なサンプルが上記の「座席問題」だと感じたのです。

 

自分勝手なリベラリストたちは、自分たちのロジックを無理やりとおすため屁理屈をこねますが、それは民主主義の本質とはかけ離れているように思うのです。

 

あ、ぼくはもちろん自由主義を否定している訳ではありません。

自由主義は民主主義とのバランスの中で成り立つものだといいたいだけです。

 

ここまで書いて気づいたのですが「自由」と「民主」標榜する「自由民主党」という政党がありますね。

本来であれば自由と民主のバランスがとれた政党であるはずなのですが、現首相になってからかなりあほな「自由(リベラル)」系のあほ女性議員どもが幅をきかせてますね。

もうすでに自由民主党はその名前の通りのバランス感のある政党ではないのでしょうか。

 

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」 ― ビスマルク

 

雑誌でオーストラリアで野良猫が駆除されているとの記事を見ました。

猫好きの僕としてはなんともいたたまれない。。。

 

理由としては「野良猫たちは、固有種に壊滅的打撃をあたえている」からだそうです。

猫は17世紀にヨーロッパ人に入植者によっても持ち込まれてその後大幅に増加した。

地元のオンラインメディアによると1日に全土で300万頭の哺乳類、100万羽の鳥類、170万匹の爬虫類が野良猫によって殺されてるという。。。

 

人間が利己的な理由で持ち込んだ他国の動物がその地の固有の生態系を破壊し、結果、元の状況を取り戻すために持ち込んだ動物を駆除する。

 

それは世界中で起きている出来事に思えます。

 

日本においては代表格がブラックバスでしょう。

 

ブラックバスは赤星鉄馬という人が、当時汚染がひどくなってきていた日本の湖沼において、未来の湖沼の姿を夢想した際にブラックバスこそが救世主であると確信し、大正14年6月22日に芦ノ湖に初めて放流したようです。

それは私利私欲のためでなく、日本の湖沼を守りたい、食料事情にも貢献したいという崇高な目的があったような話を数件見かけました。

 

その結果どうなったか。。。

釣り好きたちが日本中の湖沼にブラックバスを放流し、その結果日本の固有種のあるモロコやフナの激減など致命的な生態系破壊に繋がってしまったようです。

 

現在の日本最大のブラックバスの「養殖池」として名高い琵琶湖では、ブラックバスを釣ったらリリースせずに「ブラックバス捨て場」に捨てることを推奨しているようです。上記のオーストラリアのケースに酷似してますね。

 

で、冒頭の格言を思い出した訳です。

 

別の生態系に住む生き物を、人間の浅はかな考えで別の生態系に持ち込むと、固有の生態系を食い散らかすということは多くの歴史的事象が証明しているわけです。

 

賢者はこういった歴史に学ぶべきではないでしょうか。

 

一時の利得を夢想する、もしくは自己の利潤のために、別の生態系の生き物を大量に受け入れてはダメなんです。

結果、それを取り除くために多大な労力が必要になることは分かりきっているのです。

いや、もしくは完全に固有種が駆逐される可能性もないとは言い切れないのです。

 

・・・僕の本当に言いたいことを書くとさすがにちょっとまずそうなのでここでは差し控えますが、今日本に差し迫っている「何かの脅威」に酷似してませんか。。。?