いま考えると登山をすることってやっぱ人生に結構大きな影響力を与えてくれてた気がします。

 

僕は小さなお店を経営しているのですが儲かってないので週一回の定休日にはアルバイトに行ってます。

ちょっと変わったアルバイト先で、まあ簡単に言えばマリーナ(もどき)の雑用。

 

そこのマリーナが場所を移転するってことで今はそのための作業をいろいろしてるのですが。。。

とにかく社長が計画を全くできない人。

それを見かねたその会社の顧問的な立場の方が僕に工程表を作って進捗管理をしてほしいと頼んできました。

なのでそれを作り定期的にミーティングを開催し社長に進捗を確認していくこととしました。

 

ミーティングでは社長は「なんの問題もない、ちゃんと予定通りに進んでいる」とばっかり言うのですが全然進んでいない。。。

土地の契約等の問題もあり厳守としていたその準備作業期限を一週間過ぎたときそのことを指摘すると「一週間過ぎることになんの問題があるの?」と言ってきたときはさすがに進捗管理をしてるのがバカバカしくなりました。。。

 

で、考えたのがこの程度の仕事ってダラダラやっててもまあ死ぬことはないし、土壇場でデタラメにやってもなんとかなる。っていうか社長はずっとそういうぬるま湯で生きてきた人なんだろうと。

 

で、僕がなんで苛立つのかをよく考えてみると「登山」に立ち戻ったのです。

 

僕は雪山にスノーボードを担いで登って滑るということをやってました。

 

ちょっと間違えれば簡単に死ぬ。。。

 

なので死なないために事前に調べて準備をしてリスクを最小限にし、またあらゆる状況に対応できるように装備を整える訳です。

 

でも当然想定外のことも発生する。

その時は事前に想定していた類似の事項を組み合わせて判断しその場にあった対応をする訳です。そうしないと死はすぐ隣に待っているので。

 

ぼくにはこの発想がずっと残っているのだと感じました。

 

生き残るために最善を尽くす、それはまずは生き残るための準備をすること、それを何度も確認し頭の中でシュミレートして本当に大丈夫かを検証する、その上で実際の現地においてはその場に応じた対応を即座に判断し行動する。

 

登山を通じてこういったサイクルを考えることを当たり前だと考えるようになっていたのだと思います。

 

「多少間違っても死ぬことはない」というぬるま湯的な状況しか知らない人たちの行動に苛立つのはそういった自分の経験則によるものだと思いました。

 

まあ、実際日本におけるビジネスシーンで多少間違っても死ぬことはあまりないかと思うので、ぼくの登山的発想がすべてに適用されるというのもおかしい話かもですが、でもせっかくの人生そういった気概を持って真剣に向き合ったほうが結果的に後悔のないものになるような気がするのです、しらんけど(^^;