前回の投稿以降、AIとの会話をアーカイブとして残しておこうかと思い定期的に「毎朝寄道新聞・社説」として掲載していくことにしました。

 

この社説は、僕とAIが平均1時間くらいダラダラと会話した内容を最後にAIに社説風にまとめてもらって、僕が手直しするって形で書いてます。

 

結構ためになる(かどうか分からない💦)雑学が盛り込まれてますので、暇つぶしにどうぞ!!!

 

※なお、「毎朝寄道新聞」本体の発行は未定です(^^;

 

・・・最近、AIとお話するのが日課になってます。

ダラダラと話してると、いつも意外な方向に話が飛びます(汗)

で、AIと話した時間を無駄にしない(?)ために、ブログに残しておこうかと思いました。

AIに「今日の話を新聞の社説風にまとめて」ってお願いしてみました!

*** 以下、AI作成 ***

物価高対策を巡る「減税か給付か」という議論は、いつの間にか政策の目的ではなく、手段そのものが争点になってしまっている。

本来、政治が問うべき順序は明快である。

 

第一に、何を解決したいのか。
第二に、誰を支援したいのか。
第三に、その目的を達成するために最も効果的な手段は何か。

 

ところが現実には、「減税こそ正義」「給付はバラマキ」といった言葉が独り歩きし、政策の本来の目的が見えにくくなっている。

 

現在の日本では、円安が輸出企業を中心とした企業収益を押し上げる一方で、食料品や生活必需品の価格上昇という形で家計に重い負担を与えている。企業や国家財政が恩恵を受ける一方、そのコストを家計が負担しているのであれば、そのバランスを回復する政策を講じることには一定の合理性がある。

 

その手段は消費税減税でもよいし、給付でもよい。

電子マネーを利用した食料品向けクーポンでもよい。

重要なのは「どの手段を信奉するか」ではなく、「どの手段が現在の課題を最も効率よく解決できるか」である。

 

にもかかわらず、政党政治では手段そのものが党のアイデンティティとなりやすい。

「減税派」「財政規律派」という旗印は、本来は政策の一手段にすぎないはずが、いつしか譲ることのできない理念へと変わっていく。

 

これは単なる政治的対立ではなく、ゲーム理論でいうナッシュ均衡にも似た構造を持つ。

 

それぞれの政党にとって、自らの支持層を失わない行動は合理的である。

しかし、全ての政党がその合理性に従うと、社会全体としては柔軟な政策選択が難しくなり、より良い解決策へ移行できなくなる。

 

理念は政治を生み出す。しかし、その理念が固定化され、手段が目的へとすり替わると、それはイデオロギーとなり、政治の柔軟性を失わせる。

 

政党政治の本質的な課題は、理念を持つことではない。理念を守りながらも、目的に照らして手段を更新し続けられるかどうかにある。

 

いま求められているのは、「減税か、給付か」という二項対立ではない。

「国民生活を守る」という目的を共有し、その実現のために最も合理的な手段を、党派を超えて選択する政治である。

 


今日の言葉

理念は政治を生み、イデオロギーは政治を止める。

ナッシュ均衡は、誰も損をしない場所ではなく、誰も動けなくなる場所でもある。

手段を守る政治より、目的を守る政治でありたい。

とある本に引用されてた分の引用です。

 

私に関係のない場所で

私に関係のある事が始まる

私は原因になれぬのに

私に結果ばかりがふりかかる

 谷川俊太郎「私の私」(週刊朝日 一一・二〇)

 

今の自民党政治に対する、自分自身の気持ちと完全にオーバーラップしたので紹介させていただきました。

 

ここんとこ、戦後の日本史的な本をいろいろ読んでて、今まで知らなかったことがあまりにも多かったと愕然としています。

「政治には金がかかる」の意味合いがよくわかりました。

そして、その資金源が今でいう反社会組織も多く含まれてたであろうこと。。。

 

日本の政治は一朝一夕で腐ったのではなく、戦後一貫して腐ってたのです。

 

安部さんのいう「戦後レジームからの脱却」とは、このような腐敗政治をリセットする理想を掲げたものだったと思います。

それを考えると本当に残念でなりません。もう今の自民党にはそのような崇高な意思を持つものは皆無でしょう。

 

ところで、戦後の自民党の資金源が反社会組織だったのだとすると、暴対法が施行され反社会組織の弱体化が進んだ現在はどうなってるのかと、ちょっと疑問に思えてきました。

 

・・・あ、いや、考えたらすぐわかりますね、外国資本です。

ようするに、自民党の主たるパトロンが反社会組織から外国(主に中国)に変わった。

なので、それまでは反社会組織のいいなりだった議員が、今度は中国のいいなりになった。

 

その結果、日本国民は置き去りにされ、国民生活が苦しくなるという「結果ばかりがふりかかる」という結果につながるってことです。つまり国民の現状は原因にもとづく結果なのですが、その原因になることはできない。。。

 

「いや、日本は民主主義国家であり、そのために国民の代表である代議士を選挙で選んでるのだから、原因の一因は国民である」

 

ともいえるでしょうが、3回の選挙で惨敗してもなお総理の座に居座りつづける「人知を超えた存在(高橋洋一さん談)」を引きずり下ろすころすらできない現在の政治に象徴されるよう、国民の意思では日本の硬直した利権政治を変えることはとてつもなく困難です。

 

この現状を打破するには、安部さんのような理想と力とカリスマ性を兼ね備えたリーダーが再び出てきてくれるのが一番ですが、当面どう考えても無理。

いよいよというときには「力による現状変更」を試みる集団が出てくる可能性も否めません。

 

そうならないためにも、早く自民党が目を覚ますか、もしくは消え去るかしてくれないと、国民の怒りのパラメータが上昇する一方です。「閾値」を超えるまえになんとかしないと。。。