総裁選やってるみたいですねー。

某アホ候補が「源泉徴収・年末調整をなくして全員確定申告にする!」みたいなアホなことを言ってるようです。。。

 

「アホなこと」と書きましたが、実は僕は20年ほど前に同じようなことを妄想したことがありました。

 

昔の妄想なのですが、当時の世間知らずの若者の単なる妄想と思われるのもちょっといやなので、当時の状況を(恥ずかしげもなく)少し紹介しますと。。。

 

国内トップクラスの上場企業で経理関連の業務に携わってました。

当時は日本の多くの企業がアメリカの会計基準に準拠する流れになっており、その会社も率先して取り入れてました。

 

なので同僚や先輩・同業の友人などが競うようにUSCPA(米国公認会計士)の取得を目指す中、僕はEA(米国税理士)を目指し取得しました。

 

・・・当時、先読みしすぎたのです。

日本の会計がアメリカ寄りになった時、次に来るのは税制だと。。。

 

基本的にアメリカは確定申告です。

なので、会計基準の次は税制がアメリカを模したものに変遷していく、その前にアメリカの税理士資格を取っておこうと。

※便宜上米国税理士と書いていますが、EAとはEnrolled Agentの略であり、直訳すると(税申告)代理人であり、要するに確定申告等を代理で行うことができる、米国歳入庁が認定する資格のことです。

 

また当時は終身雇用、年功序列の制度に懐疑的な意見が多く、将来的には各人がスキルに応じてそれを有効活用できる企業・プロジェクトを渡り歩くようになるだろうとの予想もあった時代でした。なので、企業による源泉徴収・年末調整は非効率的であり、全員が確定申告したほうがいいのではないかと思ったのです。

 

・・・ならば、某自民党総裁候補が「全員確定申告だ!」って言ってるのに反対することないだろ、と思われる方も多いかと思います。

 

正確にいうと僕は反対はしていないのです。

 

ただ、今の日本の社会が思ったほど人々が会社を渡り歩く状況にもなっておらず、アメリカのように全員確定申告という仕組みに対応できるような会計基準も導入できておらず、また財務省と会計会社の陰謀による(?)複雑怪奇な税制を改善する気配もないなかで、例えばサラリーマン全員が確定申告することは非現実的なのです。

 

それと、多くのサラリーマンは自分の給与天引される税金に対して無頓着です。それが確定申告になるとみんな急に節税を考えるようになり、税収減るんちゃうかとも。。。まあ、それはどうでもいい話ですが。

 

上記のあほ候補は本当にちゃんと状況を掴んでいるのか、何のためにやりたいのか、財務省に言われたから忠犬のように従っているだけなのか、といった疑問が何一つ明確にされておらず、だから識者にもあほ扱いされているのです。

 

ちなみに、僕は今は個人事業主なので当然確定申告しています。

なのでサラリーマンが確定申告になろうがどうであろうか関係ないのですが、アホがアホな制度を総裁選のネタにしてるってのが心底むかつくのです。

 

・・・ちょっとお酒を飲みながら書いてるので論調が怪しくなってきましたが、暴走ついでに僕の妄想を爆発させようかと思います(^^;

 

 

 

『やっぱ、全員確定申告にしましょう!』

 

 

 

で、税制改革!

もっとわかりやすくする。

 

具体的には、、、

 

使ったお金をすべて経費として認める!

※もちろん、個人・個人事業主に限る。

 

そのうえで、消費税をすっごく上げる、例えば20%とか

(&消費税の免税事業者制度の廃止)

 

これ、おもろない?

 

確定申告の際に、どれが経費になってどれがならないか考えるのってめんどくさい。

ならば使ったお金は全部経費にできるようにする!

 

もちろん使った証明が必要、それは電子決済か領収書。

領収書とるのめんどくさいなら電子決済を使うようになりお金の流れも明確になる。

 

そうすると、個人の所得税・住民税は減額され税収は減る。。。

でも、その分は消費に回ってるはずなので消費税額でカバーできる!(ように消費税額を設計すればいい!)

 

消費が活発になると産業・商業も活発になり日本経済が活性化する!!!

 

よくない、これ!!!

 

おれ、天才ちゃうかな(笑)

 

 

 

・・・異論・反論受け付けます(^^;

大概の政治家、経済界の上の人ら、大手メディアがなんで雁首そろえてあほしかいないのか。。。?

やっと理由が分かりました!

 

先日久しぶりに東京に行ってきました。

(最近、僕は東京に住んでないのです。。。)

 

朝、東京駅に着いてまず思ったことは、、、

空いてる!

 

確かに通勤時間としてはちょっと早めだったのですが、人ごみと感じることもなく山手線でも余裕で座れます。

快適!

 

カフェ等で時間をつぶしてから友達とランチでも行こうかと連絡してみると、、、

結構高確率で「テレワーク」なので都心にはいないとのこと、、、

 

たまたまその日有楽町に出社してるっていう会計コンサルの友人がつかまったので、そいつとランチへ。

 

有楽町近くのビルの地下にある食堂街、安い!

豊洲直送の海鮮丼が650円???

 

テレビ等で話題だったインバウン丼とは桁がちゃうやん!!!

 

その後渋谷へ移動し打合せ、そんでなじみの郊外の商店街へ。

・・・なんか東京って快適やわ!

と思いました。

 

どこもあまり込み合ってないし、公共交通機関の料金も安いし、なんといっても不快な外国人が少ない。

誤解のないように言うと、外国人は一定数いるにしてもマナー無視のいやな外国人が少ない。

 

 

 

 

・・・で、やっと冒頭の政治家等アホ理論に戻ろうかと思うのですが。。。

 

気づいたんです、東京の中心部に住んでいる限り、不良移民の問題も、ソラーパネルによる環境破壊も、少子高齢化もなんの影響もない。。。

 

冒頭のあほ連中、とういいうより破廉恥連中は、たいがい東京のええとこに住んでいるので、耳ざわりのいいアホ左翼理論に乗っかかって偽善者面をしたところで、自分にはマイナスの要因が降りかかってこないのです。

 

ひとつずつ行きましょう。

 

1 移民問題

 都心の高級住宅エリアに技能実習生とかが来ることは無いでしょう。また、ゴミ出しルールを守れないようなモラルに欠ける外国人も来にくいと思います。だから移民が増えようと冒頭の破廉恥連中(以後、上級国民という。)の生活には関係ないのです。さらに、地方選出を自認するペテン議員様は、移民を入れることで自分の選出地の産業が発展するなどとのまやかしものたまうことができます。それによりその地域のコミュニティがズタズタに破壊されようとも、自分の日常の生活には関係ないからいいのです。

 

2 環境問題(ex.ソーラーパネル)

 SDGsとかいう世界では死語になりつつある教典にしがみつくことで、自分のいい人ぶりをアピールできる、その代表例がソーラーパネルでしょう。これも移民問題と同じです。メガソーラーなんて都会には作らない、自分の生活に関係ない田舎に作るので、自分の日常生活には関係ないのです。たとえ貴重な里山が破壊され醜悪な景色になっても、それによって土砂災害が引き起こされそうとも、生息地を追われたクマが住宅地に降りてきても、上級国民の日常生活にはなんの関係もないのです。

 

3 少子高齢化

 移民問題に絡みます。子供を増やすなんて一朝一夕には無理、なので移民が必要。ろくでもない不良移民でも連れてきて、地方に住ませとけば、少子高齢化対策してるっぽい。繰り返しいなるけど、地方の治安とかコミュニティとか伝統・文化なんて上級国民にはどうでもいい。だって自分の生活には関係ないし。そもそも、少子高齢化対策ならLGBTを推進するなよ!あほちゃうか。

 

 

 

今回東京に行ってよくわかった。

今の政治家は上級国民がいかに自分たちだけの生活を守ろうとしか考えていない、そういった政治家のケツをなめるように服従している経団連、そのプロパガンダを流し続けているマスコミ、おこぼれをもらおうと尻尾をふっている破廉恥NPO。

 

当然、この行き着く先は国民の分断であり、上級国民以外の不満のマグマが閾値をこえたときに爆発するか、今のC国のように徹底的に押さえつけ監視する1960年台SFのようなディストピアになるか、しかない(知らんけど)

 

最後に蛇足ながら付け加えると、次の自民党総裁選、この最悪の状況を打破できる人は、高市さん以外にはいないということは、だれでも気づいていることでしょう!・・・しらんけど(^^;

ここのところ、暇なときは図書館で借りてきた本を読むことが多いです。

 

自分で買ってまで読まないような本、気になってはいたけどなんとなく読む機会を逃していた本などを見つけては借りて読んでいます。

 

さっき読み終えたのは「神々の山嶺(いただき)・夢枕獏」。

 

昔、アニメ映画で見たことがあり凡その内容は知ってたけど、なんか気になって読んでみました。

 

おもしろい!・・・が、途中(特に下巻)同じような描写が続きまくりでちょっと飽きてきたけど、なんとか最後まで読みました。

 

で、最後に出てきた「N.E.オデル」のインタビュー記事。

 

オデルは、エヴェレストで行方不明になったがもしかしたら人類で最初に頂上を踏んだかもしれないとされている登山家「マロリーとアーヴィン」が頂上へ向かう写真を撮った人物です。

 

以下、引用(一部抜粋)

マロリーとアーヴィンは、今も歩き続けているのです。

頂にたどりつこうとして、歩いている。

歩き続けている。

そして、いつも、死は、その途上でその人に訪れるのです。

軽々しく、人の人生に価値などつけられるものではありませんが、その人が死んだ時、いったい、何の途上であったのか、たぶんそのことこそが重要なのだと思います。

私にとっても、あなたにとっても。

何かの途上であること、、、

 

感動した!