3月13日 3:00
ようやく給油できた。Kは俺の2台前に並んでいた。給油後に一言声をかけた。かなり疲れきっている様子だった。俺の目線から言うとまだまだと言ったとこだがKは元々線の細い奴だった。入社してから4年でだいぶ鍛えたがそれでも時折へたれになる事がある。通常なら一言喝を入れるだけだがこの状況ではそれも止めておいた方がいいだろう。「しっかりな」一言だけ言った。
俺はこのまま本日のお客さんの所へ向かう。この日は岩手県花巻市。仙台市の中心部を通過すると中心部は電気が復旧していた。携帯も繋がる状態だった。国道4号線をひたすら北上する。大崎市、登米市、栗原市を超えると岩手県だ。それでも花巻はだいぶ北で盛岡の手前に位置する。道がとにかくひどい。30㎝くらい盛り上がっているところや地割れがあちこち。更に橋梁部はどんな小さい橋でも付け根の部分に必ず段差ができていた。そんな状態なのでいつものようにスピードを出せない。徐々に東の空が明るくなってきた。また変わらない朝が来る。明るくなることで比較的に路面の状態が把握しやすくなる。岩手に入り後30分位で到着するころに、国道沿いの大手牛丼チェーン店が開いていた。どこも店は閉めている中で唯一開いていたのだ。俺は迷いなく入った。朝の5時なのに人が大勢いる。並ぶ程ではなかったが席につき朝の定食をオーダーした。俺はこの日、ここで食べた食事を一生忘れる事はないだろう。とびきり美味かったわけではないが、温かいご飯と味噌汁が疲れ切った体を癒してくれた。温かい食事は何日ぶりだっただろう。そんな事も考えず夢中で食べた。Kの分をテイクアウトしようと考えたが1日車に放置する事になるので止め、帰りに買うことにした。6時頃にお客さんの家の近くの道の駅に車を止め仮眠をとる事にした。そんな時、急に便意をもよおした。まったくろくに食べてもいないのに出る物はしっかり出るではないか。トイレに駆け込むが水が出ないためにひどい有様だった。しかしそんな事は言ってられない。さっさと済ませ出てくると高校生くらいの男の子が順番を待っていた。俺が汲み置きしてある水を流そうとするが彼は「後はやっておきます」とだけ言い残し入っていった。よっぽど切羽詰まっていたのだろう。「ごめんね」とだけ言い車に戻った。シートを倒し横になるとすぐに意識がなくなった。
9時頃になって目を覚ました。たった数時間でもだいぶすっきりした。寝ている間にKからの着信があったがかけ直しても繋がらなかった。俺はお客さんの所へ向かった。お客さんは驚いた様子だったが快く招き入れてくれた。電気が止まっていて掃除機が使えなかったので調律だけ行った。発表会が近いそうだ。仕事が終わるとお客さんはお茶を入れようとしていた。俺は頑なに断った。水道が止まっている中で水は貴重だ。そんな時に電気が復旧した。お客さんはテレビを付け、爆発した原発の様子を見て驚いていた。仕事を終えた俺は次へ向かう。この日は夕方に宮城でもう1件の予定。時間があるので朝に立ち寄った牛丼屋で持ち帰りをしようとしたが昼頃にはもう閉店していた。こんな事なら朝に買っておくべきだった。Kに心な中で詫びた。連絡は相変わらずとれない。
夕方のお客さんのところも何事もなく仕事ができた。しかし街がひどい状態だった。道はでこぼこでマンホールが飛び出している。家も崩れていたり倒壊しているところも。道には瓦礫やガラスが散乱していた。新幹線の高架橋は無事だったが架線の電柱が全て折れ曲がっている。仕事が終わった後に走っていると半年程前に来たお客さんの家が近い事に気付いた。特に意味はなかったがすごく良くしてもらった方だったのでよく覚えていた。おもむろに立ち寄るとお客さんは驚いていた。ピアノが倒れたそうだ。ご家族で戻したとの事だったのでそのまま立ち去った。
仙台市についたのは19時頃だった。仙台駅付近で車を止め携帯が繋がるので、会社へ報告を入れた。Kからの連絡はなく代わりに災害用の伝言板にメッセージが入っていた。この伝言板が非常に役立った。Kは仕事に行けず、給油に並ぶとの事だった。山形でコンビニが開いていて食料をたくさん購入したそうだ。俺もガソリンを求めて昨日まで開いていたGSへ。しかし俺がつくころには品切れで閉店していた。その近くの店が開いているとの事でそこに向かい、列に並んだ。しかし30分もしないうちに店員が現れ、品切れになったと伝えてきた。俺はこの日の給油をあきらめ、自宅へ戻った。しばらくしてKも帰ってきた。どこも品切れで次々と閉店しているらしい。俺もkも真っ暗なアパートで足止めになる覚悟をした。kは特に憔悴していて不満や愚痴をこぼす。それを耳にする俺もいらいらし始めたがお互いに怒ってしまうと収集がつかなくなるので自分を抑える事にした。