3月11日 13:00
予定していた時間より早く訪問した。といっても入ったのは20分くらい前。
年配のおばさんが応対してくれた。娘さんらしき若奥さんも奥にいらっしゃるような感じだった。
ピアノは玄関を入りリビングを通り抜け、対面式のキッチンの正面に置いてあった。壁際に寄せてあり、
左側は窓になっていた。すぐ後ろはキッチンカウンターでそこと壁側には子供の玩具やぬいぐるみが多数あった。ピアノはヤマハ U1M 長い間調律していなくて明らかに2度上げしなければいけない状態。しかも午前に次いでフローリングに敷板の状態。やはり午前と同様に万全ではない事を話した。お母さんはその説明に「わかりました」とあいづちするくらい。どうやらこれからまだ小さいお孫さんが弾かれるようだ。
早速仕事に取り掛かる。遅くなると次が間に合わなくなってしまう。一通り内部の点検をした。永年放置されていた事もあって鍵盤のロスがかなり出ている。それを直し、掃除機を借りて鍵盤下の掃除をした。
とにかく時間がない。下律を一気にやってから本調律に入る。その間に若奥さんが隣のリビングに入ってこられてソファに掛けられていたが、ピアノのばしょからは死角で見えない場所だった。
中音、低音と終わり、高音に入っていった。高音も残り2オクターブくらいを残すのみとなった時にリビングにいらっしゃった奥さんの携帯電話がけたたましく鳴り響いた。調律中に電話はよくある事でお客さんがお話中は一旦手を止める。今回も「止めるかぁ」と思い、ハンマーを置いた瞬間だった。地震が発生した。最初は弱くよくある地震と変わらないくらい。しかしすぐに大きくなり家全体が揺すられているような状態だった。とにかく大きい横揺れで、立っていた俺は何かに捕まらなければいられない状態だった。ゆれた瞬間からピアノを押さえていた。いや、押さえてるというよりも俺自身がピアノにしがみついていると言ったほうが的確かもしれない。とにかくひどく激しい揺れで阪神の時以上だ。しかも長い。揺れが小さくなってきたかなって思ったら急に盛り返してくるのが何度かあった。横や後ろにあった玩具類が俺に降り注いでくる。痛いという感覚はなかった。とっさに頭によぎったのはこのまま家が崩れて下敷きになる事だった。それは極限状態での恐怖でしかなかった。本気で「死」という事を考えた。とにかく早く終わってくれとひたすら願った。ふと隣のリビングを見ると、お母さんがテレビを押さえていた。思わず叫んだ。「離れて!すぐにテーブルの下に入って下さい。」少し冷静になれた。奥さんは相変わらず死角で見えない場所にいる。凄い轟音と一向に収まらない揺れ。家全体がきしんでいる音が聞こえた。キッチンの食器棚の引き戸が揺れの振動で勝手に開き、食器が次々と落下している。お母さんがまだテレビにしがみ付いている。また叫んだ。「とにかく離れてください」しかし離れない。俺はやばくなればそのお母さんに飛び込んで行って覆いかぶさる覚悟をした。とにかくお客さんの安全を考えていた。その時点では先ほどのような自分の身の危険や命といった事は全くなかった。自分でも以外だったと振り返る。5分以上揺れただろうか。とにかく長かった。揺れが収まり始めた。すぐに俺はキッチンに向かった。足元には割れた食器や物が散乱するなか、ガスコンロの元栓を閉め、火の確認をした。まだ少し揺れている。そしてリビングに向かった。お母さんはへたり込んでいた。奥さんはソファで腰を落としたままで2人とも呆然としていた。ようやく気づいた。若奥さんが妊婦である事に。
お母さんが震える声で「予定日を過ぎている」と告げた。俺は奥さんの傍へ行き「大丈夫ですか?」と尋ねた。問題はなさそうだ。「よかった」思わず言葉がでた。すぐに後の事を考え、保険証と何か羽織る服を用意してもらった。火の元の安全は確保した事を伝え、2階に火の気があるような物がないか確認をした。家の中の安全を確認した上で2人を座らせ落ち着くように促した。その場所から動かないように伝え俺は1人外に出た。サイレンの音や人々が叫ぶ声がしたが家の前は安全だった。近くに小学校がある事を思い出し、また家に戻り避難する事にした。俺は奥さんに産気づいたら担いで病院に行く気でいたが、家に戻った時には2人とも落ち着いていた。すぐにご主人に連絡してもらうようにしたが電話が通じない。仕方なく2人を連れて小学校まで歩いた。雪が降り始めていたので奥さんを傘に入れ、学校までの道のりを急ぐ。道路は電柱が傾き、石壁が崩れていたりした。極力道の端ではなく真ん中付近を歩くようにし、学校にたどり着いた。小学校では生徒達や他の近所の方たちが避難していた。とにかく寒い。朝の天気とは打って変わって、雪が益々強くなってきた。学校の横の大通りは信号が止まっていて交通が早くも麻痺している。何度も消防車が行き来している。その間も小さな余震がしばしば起こり、たまに大きな揺れがきている。まだ緊張は解れない状態だった。