ぴあのまん -30ページ目

ぴあのまん

とあるぴあのまんの日々の奮闘記です。


焼津は魚の水揚げ日本一って習ったような…汗

今までも関東に行った帰りにわざわざ高速を降りて足を運んだ店を探していました。

かれこれ5年振りでしたが、記憶を頼りに漁港をうろうろ。

やっと見つけました。


お刺身の盛り合わせ…ではありません。海鮮丼なのです。本当はしらすが食べたかったのですが、連休中でメニューに限りがあるとの事。

わずかにあるしらすが非常に淡白で美味しかったです。

そしてお持ち帰りも

宮城のまぐろも美味いですが、焼津のまぐろも美味い合格

これからの季節よりか冬の方が身が締まって美味しいですよ。

金寿し地魚定
焼津市中港2丁目4ー18
東名焼津インターから車で10分
JR東海道線焼津駅からでも徒歩10分です。
お薦めです。

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大型連休も後半なんて言われてますがいかがお過ごしでしょうか?

僕も今日から休みです。昨日仕事を終えた後、そのまま休みに入りました。

やってきましたのは静岡県は焼津市ですうお座

今日は少し足を延ばし、浜松へ行ってきました。浜松と言えばピアノの町ですが、浜松駅のすぐ傍にある楽器博物館へ♪

ここにはピアノだけでなく、様々な楽器が展示してあります。


これはチェンバロです。


こんなスクエアピアノや…


エレクトーンみたいなピアノなど。



これ何かわかります? 
展示と言うよりインテリアっぽく壁に掛けてあり、展示物ではないので説明書きもありません。

ハープシコードやチェンバロを調律するためのチューニングハンマーです。(こんなん写真撮ってるのは僕だけでした汗

更に


昔のピアノのアクションです。シングルエスケープメント式のアクションです。
時代が代わると


ダブルエスケープへと変わり、現在のアクションへ近づいてきます。
他にも管楽器や弦楽器、民族楽器など何回行っても飽きないです。

僕のような専門家でなくても充分楽しめますよ。

そして浜松と言えばやはりこれ


どこにでもあるような店よりも隠れ家的な店を探すのが好きで、1時間ほど探し辿り着いたのは浜名湖の館山寺温泉のすぐ傍にあった小汚い店でしたが、味は大当たりでした合格



楽器博物館のお土産屋さんで買ってきました。僕のようなおっさんの部屋には似合わないので欲しい方に差し上げますよ。



先々週までは青森にいて、先週は名古屋、そして今週から愛媛に来ています。青森はまだ雪が降っていましたが、四国は暖かいです。その気温差は20℃近く晴れ


今日は休みだったので、ある場所へ行きました。


四国と言えば八十八カ所巡り。





「45番!岩屋寺」

大泉洋さんが悟った?お寺です。




白装束を着た年配の方々の中、相変わらず場違いな格好で、汗だくになりながら山を登ること20分。非常に疲れました。

そして前から欲しかったこちらを買いました。




愛媛名産のじゃこ天もおいしいですよ。

東日本大震災から2年が経過しました。今日は名取市にある小学校で仕事でした。

仙台空港のすぐ傍で、3階の音楽室からは管制レーダーのアンテナが見えます。まさにここはあの日は水に浸かった場所です。

学校のグランドには、日の丸国旗が半旗にされていました。

2時40分には全校児童は教室に着席したようです。学校の放送が入りました。

「震災から2年が経ちました。間もなく地震のあった2時46分です。亡くなったお友達や、家族を想い皆で祈りましょう」

こんな放送初めてです。音楽室からは隣りの仮設の校舎が見えるのですが、子供達は静かに聞いていました。

2時46分になると街のサイレンが鳴り響きました。僕は音楽室に1人でしたが、東側(海側)に向かい、黙祷をしました。サイレンは1分くらい鳴っていたでしょうか。

あの日の事を静かに思い返しています。

この2年間にいろんな人と接し、いろんな事を考え、改めて気付いた事があります。

あの地震で揺れていた時に、僕は自分の死を考えました。自分が極限状態で死を思った時には、恐怖とか無念とかはありませんでした。そこには何もないのです。一言で言うと「無」です。

当時は何も思わなかったのですが、よくよく考えてみると、あの時に僕は自分の死を受け入れたのです。

たまたま内陸部にいただけで、もし海沿いにいて、津波に呑み込まれていれば間違いなく死んでいたでしょう。

仙台は先週は暖かかったのですが、昨日は台風のような暴風になり、一気に気温も下がりました。今朝はまた雪も積もりました。

あの日もすごく寒い日だったのを思い出します。

震災の風化なんてテレビではよく言っていますが、被災者の人達や、僕の心の中では風化はされないでしょう。

「思い出したくない」と塞ぎ込んでいた時もありました。でもそれでは駄目なのです。

我々生き残った人間が忘れてしまっては、本当の風化になり、亡くなった人の魂も風化されてしまいます。

思い出すと辛いですが、その辛さや苦しみで、亡くなった人達の生きた証と言うか、痕跡がずっと残っていくのでしょう。

去年に僧侶でもある高校時代の担任であった恩師と会いました。その先生が仰っていたのは、このような辛さや苦しみや悲しみの中に救いがあり、答えになると。

その表面を捉えて、僕なりに出した結果です。でも本当の意味はもっと深き所にあるのでしょう。その答えを探しながら悩み続けていくと思います。

今も悲しみや辛さはありますが、それに向き合う事でかなり楽になりました。

多分これからも一生考え続け、毎年のこの日に手を合わせる事になると思います。

去年はまだこのように考える事はできませんでした。少しは前に進めたかなと思えた1年でした。

また明日からも被災地を廻ります。

寒波です。
青森市の酸ヶ湯では過去最高の521センチの積雪を記録したそうです。そんな中、今日は青森市に行っていました。とんでもない雪で、仕事が終わって出てくると車が完全に雪で埋もれてました。

昨日青森に来たのですが、来る途中で寄り道をしました。それは宮城の塩竈市にある市場にいるまぐろのおじさんです。

読んで下さってる方の中にはお送りした事もあるあのまぐろです。

5、6年前に見つけたお店で、市場の中にはたくさんのお店があるのですが、いつも買うのはこのおじさんの店だけです。

いつも行くと狭い店の決してきれいとは言えない片隅のこたつでお茶を出してくれて、その日のまぐろをこれでもかっていうくらい切って食べさせてくれます。

震災の影響でどうなっているか気になっていたのですが、久しぶりに行くとあのおじさんが…。

とっさに「おじさん!」と声をかけました。おじさんは「え?」と言った表情だったのですが、すぐ気づいてくれました。

「おぉピアノ屋さん!」4年ぶりだったのですが、まさかそんな風に覚えてくれているとは思いませんでした。

肩をバンバン叩かれ、「よく来てくれた」と店の隅にあるこたつに招かれました。本当は津波でもう営業していないかと思っていました。




おじさんは家が津波で流され、ご自身も津波に飲まれながら必死に泳いで、なんとか助かったそうです。現在は仮設住宅で生活をしているとの事でした。

ただお店だけは残ったので、仕事ができる事がすごく嬉しいようでした。

この日もお茶とまぐろを頂きました。


しかもわざわざ今朝水揚げされたまぐろを出してきてくれたのです。塩竈で穫れた近海物です。冬のまぐろはやはり美味い。

これまでいつもお世話になっている人に送っていましたが、今回は自分で食べるために買いました。

このおじさん、実はお名前も知りません。年の頃70歳くらいで、昭和の人って感じなのですが、すごく暖かくいつも良くして頂きます。

東北で仕事以外で誰も知り合いや身内がいない中で、唯一の気になっていた人でした。奥さんが元気で、仕事の手を止めさせてしまいました。

小一時間ほどいましたが、久しぶりにゆっくりとした(市場の中は慌ただしいです)時間を過ごす事ができました。

この日買ったまぐろは明後日に届きます。

おじさんいつもおいしいまぐろをありがとう。