東日本大震災から2年が経過しました。今日は名取市にある小学校で仕事でした。
仙台空港のすぐ傍で、3階の音楽室からは管制レーダーのアンテナが見えます。まさにここはあの日は水に浸かった場所です。
学校のグランドには、日の丸国旗が半旗にされていました。
2時40分には全校児童は教室に着席したようです。学校の放送が入りました。
「震災から2年が経ちました。間もなく地震のあった2時46分です。亡くなったお友達や、家族を想い皆で祈りましょう」
こんな放送初めてです。音楽室からは隣りの仮設の校舎が見えるのですが、子供達は静かに聞いていました。
2時46分になると街のサイレンが鳴り響きました。僕は音楽室に1人でしたが、東側(海側)に向かい、黙祷をしました。サイレンは1分くらい鳴っていたでしょうか。
あの日の事を静かに思い返しています。
この2年間にいろんな人と接し、いろんな事を考え、改めて気付いた事があります。
あの地震で揺れていた時に、僕は自分の死を考えました。自分が極限状態で死を思った時には、恐怖とか無念とかはありませんでした。そこには何もないのです。一言で言うと「無」です。
当時は何も思わなかったのですが、よくよく考えてみると、あの時に僕は自分の死を受け入れたのです。
たまたま内陸部にいただけで、もし海沿いにいて、津波に呑み込まれていれば間違いなく死んでいたでしょう。
仙台は先週は暖かかったのですが、昨日は台風のような暴風になり、一気に気温も下がりました。今朝はまた雪も積もりました。
あの日もすごく寒い日だったのを思い出します。
震災の風化なんてテレビではよく言っていますが、被災者の人達や、僕の心の中では風化はされないでしょう。
「思い出したくない」と塞ぎ込んでいた時もありました。でもそれでは駄目なのです。
我々生き残った人間が忘れてしまっては、本当の風化になり、亡くなった人の魂も風化されてしまいます。
思い出すと辛いですが、その辛さや苦しみで、亡くなった人達の生きた証と言うか、痕跡がずっと残っていくのでしょう。
去年に僧侶でもある高校時代の担任であった恩師と会いました。その先生が仰っていたのは、このような辛さや苦しみや悲しみの中に救いがあり、答えになると。
その表面を捉えて、僕なりに出した結果です。でも本当の意味はもっと深き所にあるのでしょう。その答えを探しながら悩み続けていくと思います。
今も悲しみや辛さはありますが、それに向き合う事でかなり楽になりました。
多分これからも一生考え続け、毎年のこの日に手を合わせる事になると思います。
去年はまだこのように考える事はできませんでした。少しは前に進めたかなと思えた1年でした。
また明日からも被災地を廻ります。