2021年初版、「刀伊の入寇」とは寛仁三年(1019年)、刀伊と呼ばれたツングース系女真人が対馬・壱岐・北九州を劫略した事件を指します。殺す、奪う、拐う挙げ句に火をつけるというまさに蛮族の所業でしたが太宰権帥だった藤原隆家が九州の武士たちを督戦してようやく追い払うことができました。

中公文庫版日本の歴史⑤「王朝の貴族」でもこの事件はけっこう頁を割かれて解説されており、土屋直鎮先生の名文と相まって充分なくらいと思っていましたが、この事件で1冊本が書けるとは正直言って驚きました。

読んでみると、日本は海に囲まれているがこれは防壁でもあり通路でもあると「海の歴史学」が提唱されています。また中国や欧米がお手本となった「開」の時代があり中世や江戸期のような「閉」の時代があると。刀伊の入寇が起きたのは最初の「閉」の時代になります。この「閉」の時代には蝦夷の反乱と新羅の海賊が辺地を悩まします。藤原道長を頂点とする中央貴族たちはなす術なく、武力を持った土豪層に官位を与え「武家貴族」と言える存在にして頼りきりました。これが中世の始まりです。

こうしてみると刀伊の賊の襲来は当たるべくして当たったという気がしてなりません。道長の甥でありライヴァルであった隆家が中央での栄達を諦め九州ヘ下り太宰府管内の武士たちと良好な関係を築いていたことが幸いしたようです。歴史の不思議と言えるでしょう。

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