七宗・謎の廃橋【2022年3月28日】 | Subaru6の休日お出かけ記録

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お出かけして撮ってきた写真を載せていきます。

季節のお花巡りと、道路ネタ??が主になります。

柿ヶ野隧道の反対側を見に行った際、七宗第四トンネルの出口付近にあるものが目に入りました。
隧道を見た後でそのままそちらの観察へ向かいますよ。

 


場所はここ、岐阜県加茂郡七宗町上麻生。

前回の最初の写真、現道と旧道の分岐点とほぼ同じ位置で撮った写真(旧道分岐は右後方)になります。


木々に隠されるように橋が架かってる!!

 


ここからズームしても木のせいでわかりにくいですね。(^_^;)

 


道路(R41)を渡って橋に接近します。R41の橋と並行に架かっていて普通なら旧橋なんじゃないかと思うけど、ここはどうなんだろう?

 


橋の手前に階段があるので、そこから橋に向かうことができます。

 


階段を上りまして…。

 


着きました。車道の幅員はあるけど、これは廃橋ですね。

 


 

こちら側両方の親柱に銘板を入れていたような跡がありますが、銘板は撤去されたのかなくなっていて橋の名前等を知る手がかりがありません。


奥にちょっとした滝が見えていて、その横に写真だとわかりにくいけど何かの管理用っぽいような階段(現役みたい)が設置されています。

 


渡ってみます。

 


振り返ると、橋の先にのぼってきた階段の手すりが見えますが、その先は完全に道の痕跡がないですよね。どうなってるの?

トンネルを建設する時に埋められたのかなとか考えたけど…!?

 


橋から下流側(この沢?が飛騨川に流れ込む直前)を覗き込むとこんな感じです。
現道の橋の下はすごく人工的な構造になっています。

 


渡りました。

 


こちら側は向かって右側にしか親柱が残っていなくて、それも銘板はないです。


写ってませんが、左側の下部に水路管のようなものが設置されていました。左側の奥に滝があります。
滝の横にある階段は時間の都合と廃橋や旧道(?)とは関係ないだろうと思って行ってません。

 


向き直るとこちらはそのままR41に合流するようなかたちになります。元々こんな線形じゃなかったかもしれませんが。
あと、写真がないけどこちら側に金毘羅さんの石碑がありました。

 


R41におりて振り返るとこんな感じです。


左側の緩やかな坂を上ると橋に続いてますが、たぶん車で通りすぎるだけだと橋には気づかないと思います。

 


現道の並行して架かる橋の名前はどうやら「黒洞橋」というそうで、今見てきた廃橋は旧黒洞橋なのかと思い途中までこの記事のタイトルを「旧黒洞橋?」としてたのですが、どうも違和感があるんですよね…。

というのも、七宗第四トンネルの旧道に相当するのが柿ヶ野隧道を含む区間になりますが、その柿ヶ野隧道から延びてきた旧道が現道に合流する地点は現道の黒洞橋を隔ててこの橋と反対側になっているからです。


それなら柿ヶ野隧道を含む旧道が供用される以前の旧旧道ではないかとも思ったのですが、柿ヶ野隧道はけっこう古い気がするのでそれも考えにくいんじゃないかな~と。

 


これで見ても旧道は柿ヶ野隧道から延びている道だし、この廃橋の辺りに道があるように見えないし。
1975年には既に廃橋だったならそれもありかもしれないけど、この辺りの古い地図や航空写真は1975年のものしかネットでは見れなさそうで…。

…って、ここでグダグダ文章を書いてもわかりにくいのでストビュー貼ります。

 

 

七宗第四トンネルに向かった状態で、旧道(柿ヶ野隧道から延びる)は右側にあり、今回見つけた廃橋は左側にあります。
旧道はこの時点で現道に合流しつつあるくらいの状態で、この廃橋がそこから繋がってるとは考えにくい。
それでは1975年よりさらに以前だと柿ヶ野隧道を出た後でけっこう道路はくねっと曲がる極悪線形でこの廃橋に繋がっていたのか?
妄想するだけでは実際のところはわかりません。(^_^;)

まあ、そんなわけで旧黒洞橋と呼ぶのはやめにして、他にこの橋を採り上げているサイトはないものかとググってみましたらやっぱりありました。

 

 

このサイトはよくお邪魔するし参考にもしているのに橋梁のページは隧道のページほどしっかり読んでなかったのか見落としてたようです…。(^-^;  ただし橋の正体は不明のまま…。

 


そんな謎の廃橋ですが、ここに廃橋があるなんて思ってもみなかったのでなんとなく自力で見つけた感があって満足です。(^^)v

時間的にもそろそろ帰り始めたほうがいいような時間になってきたので、これで帰る方向にしました。
でも実はこのあとで1回寄り道しますがw