ようやく岐阜旅行(旅行とは?w)最終回です。
続きです。
岩をくり抜いたような隧道が姿を現しました。
前回からタイトルに書いてあって名前がバレバレなんですけど、柿ヶ野隧道というらしいです。
現道の七宗第四トンネルは銘板とか見なかった(交通量が多いし…)けど1982年(昭和57年)に開通したらしいので、その時に旧道化して、 1997年(平成9年)にこちらの隧道が通行止めになったらしいです。(ネット情報)
家族旅行で来た小学生の頃には既に旧道だったので通ってはいないですね。
どうやらバリケードで塞がれていたようなのですが、完全に無意味な存在になってしまってます。(^-^;
左を見ると旧道(現道からすると旧旧道か)みたいなのがあるけど、通り抜けは無理だろうと思ったのか、ただ単に時間の都合なのか、目的は隧道だったからなのか忘れたけど行ってみたりはしませんでした。
では、隧道内へお邪魔します…ってヒビが入ってて歪んでませんかね?
振り返るとこんな感じ。飛山橋もなんとなく見れます。
ライト持ってきたけど、要らないくらい短いです。(笑)
改めて向き直るけど、もしかしなくてもここは危険ぽいですね。
行くのは推奨しません。普通にどこの廃隧道も推奨はしませんけど。(笑)
足元を見ると崩れた隧道の残骸がゴロゴロ転がっていますよ。
あとこの矢印したやつ、ロックシェッドとか?スノーシェッド?そういうのの残骸ですかね?
こんなかたまりが自分の上に落ちてきたらまあ間違いなく三途の川を渡ってしまうでしょうね。
この先はなんかめっちゃ崩れてるので行くのやめました。
こうして家で写真を見てるとなんか進めそうに見えてしまいますが、素人の私にはこの崩落部分が安定しているのかどうか判断ができませんから乗ったとたんにグラってなると困る(困るとかでは済まないw)のでやめておきました。
てか…進めそうに見えるというのが既に麻痺してるのかな?(^-^;
廃道からチラ見する飛騨川も綺麗です。
さっきの橋の上から撮った写真のように思いっきり家族にLINEで送れる写真ではないですが。(^-^;
帰りに見つけたけど、この矢印標識の支柱には「建設省」と書かれていて少し時代を感じました。
最後に廃隧道を訪問できたので、わりと良い気分で旅を終えることができそうです。(^-^)
帰宅後にこの隧道について改めてググってみると、何年かおきに様子を見に行っているサイトがありました。
このサイト前から知ってたしブックマークしてるしお出かけの参考にもしてたのに全部のレポを見たわけじゃないのでここのことは知らなかった…。(^-^;
2004年の様子:この頃は普通に通り抜けできたみたいですね。
2007年の様子:最初のバリケードが今よりゆるい感じですね。
スノーシェッド(ロックシェッドって書いたけど雪の方か…)がぐしゃっとなってますが隧道はまだ原型を保ってるみたいです。
2018年の様子:一昨年なので今とそう変わらないかと思ったら隧道のところのバリケードは健在ですね。崩落っぷりは今とそう変わらないみたいです。
この様子じゃまた何年かしたら…その前に大き目の地震や台風が来たら隧道が崩れてなくなってしまうかもしれないですね。
酷道418号とは別の意味でタイムリミットが近いかもしれないです。
ここ行ってから1か月近く経過してるような気がするけど、ようやく全部の記事をブログにUPできました。(^-^;
長いことお付き合いいただきありがとうございました。m(__)m