菜の花を見た後、この日メインで行きたい場所へ向かおうかとも思いましたが、あと少しなら寄り道しても大丈夫かなと思いこの辺りまで少し戻ります。
井田トンネル、1993年竣工だそうです。長さは約400m。
このトンネル沼津側入口横に「ようこそ戸田 ゴミを捨てないで」の看板が設置されていますが、その向こう側に旧道が残っているらしいです。
看板の下からお邪魔しますと、ガードレールが残る旧道が続いています。
伊豆に出発する数日前くらいにたまたまネットでここの存在を知り、見たいものがあったので寄ってしまいました。
入ってすぐ振り返ると、トンネルの外壁に何か白いものが貼って(?)ありますが、よく見ると「←」みたいでカーブしてる道路によくあるような矢印の表示のようですが、ここの道が現役だった頃はトンネルはなかったはずなので何故ここにこの表示が残っているのか謎です。
トンネル工事中~開通するまでの期間に設置されてたとかかな?
現道からはもう見えない位置まで進んで振り返ります。この辺りはしっかり路面が見えてます。
すぐに小さく土砂崩れで埋もれたっぽくなってる場所がありますが、通行には影響がほとんどないレベルなので普通に通過します。
その先に見えているものが気になりますね。(笑)
ここにあるような旧制の標識ではないものの「警笛鳴らせ」は普通にわりとレアな標識だと思うし、廃道にあるというだけでもテンションの上がり方が違います。(笑)
この辺りはけっこう広いですね。
でも法面とかネットの保護しかしてないみたいだし、たまにパラパラというような小石が落ちてきてる感じの音がしてます。
トンネルができる前はけっこう危険区間だったようですね。まあ、だからトンネル掘ったのか。(^-^;
カーブミラーの支柱と思われるもの。
木がたくさんあるので眺望はよくないですが、崖側はすぐ海のようで波の音がずっと聞こえています。
前日が雨だったので土の部分はぬかるんでます。(>_<)
あ、目当てのもの発見か!!(^o^)
あえて印はしませんが、太陽の左下、2本の太い木が交差してるところの下くらい、一番手前に写るガードレールのデリネーターのちょうど真上くらい…。
…と、ここで滅多に鳴ることのない私のガラケーが鳴ります。(笑)
電波入るんだ。(笑)
ちょっとした知り合いからの電話でした。(^_^;)
…そんなわけで少しの間だけ感動のご対面(?)が先延ばしになりましたが、正面にまわりますよ…。
ヘキサ!!!
廃道にヘキサ!これは絵になる!(*^▽^*)
ここでテンションが上がり、ヘキサと一緒に自撮りとかしてました。(笑)
でも、27年くらいの間ここは廃道になってるはずですが、ヘキサは妙に真新しく見えます。
まさか旧道化してからヘキサ設置するわけはないと思うので、1993年以前に設置されたことは間違いないと思うのですが…。
それに、これは帰宅後に気づいたのですが、このヘキサの補助標識には住所が「戸田村井田」と書かれています。
戸田村は平成の大合併で沼津市の一部になっていますから、現道に設置されたこの周辺のヘキサはすべて「沼津市井田」となっているはずです。
そういう点でもかなり貴重なものといえるでしょう。(^-^)
ただし、その先は土砂崩れに覆われてます。(^_^;)
行こうと思えば行けないことはないだろうけど、私は廃道初心者だし、ここを越えてもっとすごいところがあった場合に困るし、通り抜けたとしても400mくらいあるトンネルを歩いて戻るのも、通り抜けた難所をまた戻るのもちょっと嫌だなと思ったのでここで引き返すことにします。
次の目的地にも明るいうちに行きたいので、それを考えても反対側から再挑戦するとしても次回以降ということで…。m(__)m
トンネルの反対側のすぐ脇にも旧道の入口があるのが車からも確認できてます。
まあ、言い訳だらけだけど、戻ります。(笑)
どのくらい進んでたかわからなかったので、アプリで現在地を確認したら地図が読み込みきれなかったけどここみたいです。(笑)
あとで(夜、宿まで行ってから改めてアプリを開いた時かな)全体図を確認すると、半分弱くらい進んでたみたいですね。
これが残りわずかだったら進んでたかもしれませんが…。(トンネルの長さを考えて半分過ぎてるとはとても思えなかったけど)
行かなかった反対側の入口近くに等高線がやたら密になってるところがありますね。(^-^;
帰り道に通り過ぎて振り返りながら撮影した写真ですが、ガードレールの外側に柵が設置してある場所があります。
行きでは遊歩道か何かがあるのかなとか思いながらもよく見ずスルーしてしまいましたが、帰りに気がつきました。
お地蔵さんが設置されていました。
最初は道行く人を見守るために設置されたんだと思いましたが、よく見ると台座の部分に戒名と「昭和41年7月3日」の日付、それから氏名と「行年三十一?」という文字が読み取れます。
これは、昭和41年にここで事故で亡くなられた方の慰霊碑のようなものではないでしょうか?
現在ではその道も廃道になってしまい、遺族の方が訪問することもなくなってしまったのか、お花など供えられている様子もなく気の毒です。
手を合わせてからこの場を立ち去りました。
そして、旧道から脱出し車に戻ります。
車まで戻る途中におそらくは合併前に市村?町村?境だったと思われる看板の跡がありました。
で、そこにヘキサがくっついてますが、上の廃道ヘキサと比較してもらえるとわかるかと思います。こちらは「沼津市井田」になってます。
車に戻り、そのまま南へ進みます。