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 偉い先生と話をしていたら、「去る者追わず」とアドバイスをいただいた。

 それで、去る者、追わずは、そもそも、いったい誰がいい始めたのだろうかと思って調べてみたら、孟子、という人の言葉ということだった。

 家に中国文学全集があって、まあ、孟子もあったよなと思って、本棚の本を探してみたら、孟子があったので読んでみた。

 その孟子の中に、117 終生の憂いという章があって、ちょっと気に入ったので書いておく。

 

 もし誰かから無理非道なふるまいをされたなら、君子は、必ず、『わたしが仁に欠けていたからに違いない。わたしが無礼をはたらいたからに違いない。でなければ、こんなことがどうして起こるはずがあろうか』と反省する。

 だが反省してみても、仁愛にも礼儀にも少しも欠けるところがないのに、依然として無理非道なふるまいが続くならば、次には必ず『私が真心をつくしていないからに違いない』と反省する。反省した結果、真心を尽くさぬことはないと思われるのに、依然として無理非道なふるまいが続くならば、そこではじめて、『どうもこれは無茶な人間に違いない。これでは鳥や獣とえらぶところがないではないか。鳥や獣に対しては、何ともとがめようもあるまい』と断定する。

 このようなわけであるから、君子は人間の根本問題について終生憂えることはないのである。

 

 

 こんなに苦しいんだったら、いっそ自殺できたら楽なのにとは思うのに、やっぱり自殺できない。どうしてなんだろう?

 

 ところで、知り合いにこの曲が好きだと言って、ちょっとこの曲を聴かせたら、まったく、どこがいいのかわからないというふうだった。まあ、予想したとおりなのだが、実際のところ、この曲を聴いても、まったくピンとこない人の方が、ほとんどなんだろう。

 別に言い方をすれば、この曲の良さを、本当に心の底から感じることができる人は、とても不幸な、かわいそうな人なのかもしれない。

 調子の悪い時や、悲しみに打ちひしがれている時にこの曲を聴くと、涙がバケツいっぱいに流れ出てきて、胸の奥底が悲しみで震えるような気持ちになる。

 

 

 

 

 

 

 ポリーニが亡くなったことを知らなくて、ショックを受けたのだが、まあ、そのことはまた書くとして、今、もし、この人が亡くなったら、一番、ショック受けるだろうなと、前々から思っていたのは、前も書いたかもしれないが、バーズのロジャー・マッギンだ。

 

 もし生きていたとしたら、ポリーニの方がショックを受けたかもしれないが、2024年の3月は、あまりにも、いろんなことがあって、ボロボロだったので、ポリーニの死に気づくことができなかった。

 ポリーニのことで反省したので、ロジャー・マッギンの、いつかはある訃報(ちょっと不謹慎だが……)には、絶対に気づくことができるような、生活と心の状態にしておこうと思った。

 

 

 アマゾンのkindle unlimitedで、なんかおもしろい本がないかなと思って読んでいたら、まあ、考えすぎない練習という本があって、その中に、まず考えないようにするんだけれども、「このとき一番重要なのは、何事もうまくいくと信じる気持ちです。」とあって、

 ああ、いいなこの言葉と思った。

 

 まあ、何も考えないようにしながら、うまくいくと信じる気持ちを持つこと。

 ちょっと難しいけれども、ちょっとやってみようかなと思った。