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 世界で、一番好きな小説は、何かと考えてみた。

 村上春樹は、グレート・ギャッツビーが好きだと、よく書いていたが(世界で一番好きと言っていたかはわからないが……)、まあ、自分がけっこう長い間、読み続けていて、自分の人生に影響を与えたという小説はいくつかある。

 

 まあ、太宰の「津軽」なんかもそうなんだろうけれども、まず、思いつく小説をいくつかあげてみたい。

 ドストエフスキーの『罪と罰』、それから、ウィリアム・スタイロンの「ソフィーの選択」、これは、大学生の時に読んで、本当に感動したし、今もたま読んでいる。

 他には、グレアム・グリーンの「情事の終わり」も、今でも読み続けている。

 最近は、あまり読んでいないが、プルーストの「失われた時を求めて」も入るかもしれない。太宰が好きだったメリメの「カルメン」も大好きだ。やはり、太宰が好きだったチェーホフもいいと思う。「すぐり」とか、「犬を連れた奥さん」とか。

 

 でも一番、というと、なぜか、自分の中で思いついたのは、別の小説だった。

 実際、目の前に文庫本が置いてあったので、ふと手にして読んでみた。やっぱり好きだなと思った。それは、トルストイの『復活』だ。

 アンナ・カレーニナも、戦争と平和も、実は、しっかりとは読んでいなくて、あまりぴんときていないのだが、この『復活』は、なんど読んでもい。最高にいい。

 

 だから、自分が世界で一番、好きな小説を選ぶなら、今は、トルストイの『復活』じゃないかと、ふと思った。

 

 追 他にも好きな小説を忘れていた。ドストエフスキーの「死の家の記録」、ソルジェニーツィン「収容所群島」、それから福永武彦の「忘却の河」。

 小説ではないが、オスカー・ワイルドの「獄中記」。こうしてみると、刑務所に入れられた時の体験談的な小説が好きみたいだ。まあ、あまり明るいとは言えない本ばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 偉い先生と話をしていたら、「去る者追わず」とアドバイスをいただいた。

 それで、去る者、追わずは、そもそも、いったい誰がいい始めたのだろうかと思って調べてみたら、孟子、という人の言葉ということだった。

 家に中国文学全集があって、まあ、孟子もあったよなと思って、本棚の本を探してみたら、孟子があったので読んでみた。

 その孟子の中に、117 終生の憂いという章があって、ちょっと気に入ったので書いておく。

 

 もし誰かから無理非道なふるまいをされたなら、君子は、必ず、『わたしが仁に欠けていたからに違いない。わたしが無礼をはたらいたからに違いない。でなければ、こんなことがどうして起こるはずがあろうか』と反省する。

 だが反省してみても、仁愛にも礼儀にも少しも欠けるところがないのに、依然として無理非道なふるまいが続くならば、次には必ず『私が真心をつくしていないからに違いない』と反省する。反省した結果、真心を尽くさぬことはないと思われるのに、依然として無理非道なふるまいが続くならば、そこではじめて、『どうもこれは無茶な人間に違いない。これでは鳥や獣とえらぶところがないではないか。鳥や獣に対しては、何ともとがめようもあるまい』と断定する。

 このようなわけであるから、君子は人間の根本問題について終生憂えることはないのである。

 

 

 こんなに苦しいんだったら、いっそ自殺できたら楽なのにとは思うのに、やっぱり自殺できない。どうしてなんだろう?

 

 ところで、知り合いにこの曲が好きだと言って、ちょっとこの曲を聴かせたら、まったく、どこがいいのかわからないというふうだった。まあ、予想したとおりなのだが、実際のところ、この曲を聴いても、まったくピンとこない人の方が、ほとんどなんだろう。

 別に言い方をすれば、この曲の良さを、本当に心の底から感じることができる人は、とても不幸な、かわいそうな人なのかもしれない。

 調子の悪い時や、悲しみに打ちひしがれている時にこの曲を聴くと、涙がバケツいっぱいに流れ出てきて、胸の奥底が悲しみで震えるような気持ちになる。