これは、ラフマニノフ自身の演奏。車の中のCDファイルの束の中に入っていたのを聴いてみたら、しっくりときた。
いろんなところで書いてあるのだろうけれども、チェーホフとラフマニノフは知り合いだった。チェーホフの伝記だったかを読んでいたら、チェーホフが若かったラフマニノフを励ましたなんてことが書いてあった気がする。
ところで、チェーホフが生まれたのは、ウクライナの兵士が立てこもった製鉄所があるマリウポリから、国境を越えてすぐロシアに入ったところにあるタガンログという港町だ。
そして晩年を過ごしたのは、マリウポリからそう遠くはない、ロシアによって併合されたクリミアのヤルタというところだ。
1904年に亡くなったチェーホフは、もちろんマリウポリという街を良く知っていたはずだ。
日常のとるにたらない些細なことで、あそこまで憂鬱な小説を書いたチェーホフが、この理不尽な暴力の世界を目撃したのなら、いったいどんなこと書いたのだろうか、と、ふとそんなことを思った。