【今の私ができるまで①】 | あなたらしく輝き、選ばれる女性になるためのファッション戦略

あなたらしく輝き、選ばれる女性になるためのファッション戦略

ファッション&カラーコンサルタント前田祐子

 

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あなたの「こうなりたい!」を叶える

ファッション&カラーコンサルタントの

前田祐子です。

 

自己紹介はこちらから☆

今日から私のことを何回かに分けて

書こうと思います。

 

 

 

 

 

実はアートな家庭に育った私

 

 

私は東京都世田谷区のはずれ

で生まれ育ちました。


両親と弟の4人家族。


父はフリーランスのテキスタイルデザイナー。
テキスタイル=生地。
主に洋服やスカーフなどの柄を描く仕事が

多かったように思います。

 

当時は携帯電話が普及していなかったので、

家の電話が仕事の窓口。


私も小学生の頃より、

アパレルブランドからの仕事依頼の電話を

取り次いでいました。

 

母は子どもを産んでから、

主婦としてほぼ家にいましたが、

美大卒で織物が得意。
家には大きなはた織り機が

鎮座していました。

 

両親ともにセンスは良かったと思います。

二人とも洋服は好きで

父はモードな赤いシャツと

黒いパンツが定番の服装。

今思うとちょっと怖い!笑

アートな家庭で育った私。
だから私はファッションの仕事に。
という話ではありません!

 

 

美術より得意なのは

 

 

小学生の頃から図画工作などは得意ではなく
むしろ苦手で、

代わりにそこそこ勉強ができた私。


そういえば小学生の頃
流行っていた小さめTシャツが欲しくて、

親にねだったなぁ。
でも洋服が大好き!という訳ではなく、

ごく普通の小学生。


中学校は受験して中高一貫の女子校に

進むことにしました。

受験のために通った塾でも成績は上位。
希望の中学にも合格し、その中でも
「勉強ができる子」と思われていたはず。

というのも、私が通った中学高校は
「個性重視」

 

みんなが大学を受験するわけでもないし、

勉強が全てではなかったのです。
美術や音楽の道を志す同級生も

多かったなぁ。


センスの塊のような友人たちを前にすると
ファッションを仕事にしたい、

なんて想いは
生まれる余地もありませんでした。


ただ、洋服が好きな両親と暮らしていたので
ファッションを楽しむことは

日常だったかもしれません。


ちなみに、中高時代の憧れは

ヒステリックグラマーで、

お年玉貯めて買ってました!

109よりラフォーレ原宿に行きたい派。

でもルーズソックスも

履いていましたよ。笑。

(これわかる人は、同世代なんだろうな。)

 

中高は水泳部でした!

 

 

 

そして大学受験

 

 

みんなが勉強に明け暮れるわけではないので
勉強というかテストが得意な私、

ちょっと頑張ると成績は常に上位。

(だったらしい。

成績表も、ましてや

テストの順位表もなかったので、

当時はよくわかっていなかった。。。)

 


その頃は「新聞記者」に憧れて、
社会のことが学べる有名な大学に行く

新聞社に就職する
そんなつもりでいました。


そして大学受験。
一般入試で受験をするつもりでしたが、

高校から運良く推薦をもらい、

行きたい都内の大学から

いち早く合格をいただきました。


 

 大学に入学すると…

 

続きはまた♫

 

 

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