66年前の12月28日早朝に大阪市東住吉区平野市町76番地で僕は生まれました。愛情深い両親と口数は少なかったけど優しかった祖母との3人家族に初孫の男子として大歓迎されたそうです。戦後のまだまだ混乱していた時代です。古い記憶に残っているのは社会的インフラも整備されていない時代でした。*若き母との画像、自宅の庭裏も畑ばかりでした。僕は毛が薄かったです、(笑)
皆さんは驚かれるでしょうが小学生まではおとなしい優等生でした。6年生の担任先生の勧めで卒業茶話会ではマジックをやったり生徒会の会長選挙に立候補していました、(笑)。中学生になり僕の自分探しが始まりました。新しい刺激に出会い勉学は興味の対象から大きく外れファッション、音楽、異性、アート、文学等。現代のサブカルチャーですね。まさに時代の洗礼を全身に浴びました。多くの60年代の新しい著作を読み耽りました。そこに20代のビジネスの大幸運がありヨーロッパへの単身旅行が人生を決定づけました。受験勉強、就活を一度も経験しない自分勝手な人生がスタート致しました。不完全な若者がそのまま代表者となりました。以後日本の経済成長が続き創業した会社は順調に業績を伸ばせました。今から思うと己をおおいに」勘違いしていました。1983年の結婚時に僕は法人2社、投資用物件1棟、居住用マンション2件を所有していました。その後不動産投資で小さいですが成功していたので会社も区分所有の事務所を法人名義で所有するに至りました。その物件はバブル時に地上げ交渉となります!愛車はメルセデス、海外出張はファーストクラスと勘違いが日常になり正にバブル真っ最中を更新続け。プライベートでも3,200万円で購入した芦屋市の自宅マンションは数年で億ションとなりました。収益物件にも購買問い合わせが続きました。自分勘違い最高次元への入り口でした。まさか突然の地獄があるとは夢にも思っていませんでした。
(次回に続く)
おまけ① 俳句 「数え日の 重き買い物 袋かな」 矢野 誠一
おまけ② 川柳 「どて鍋に 笑顔が囲む おお味噌か」
