この「どなる、でんわ、どしゃぶり」は、チャットモンチー史上もっともロックな一曲だと思う。
ロックにヘヴィが付き纏うものならば、この唄にあるヘヴィさはとてつもなく大きい。
容赦ないサウンドも、逃げ場すらないように弾圧的な歌詞は、リアリズム以外の何者でもない。
このサウンドの容赦なさは、怖いくらい見事だなあ、と思う。
元々チャットモンチーはサウンドからもロックであったと思うが、ここまで容赦のないサウンドは今までになかったと思う。
ギターは唸りまくり、ベースは不穏にも正しくビートを刻む。
橋本絵莉子のギターの唸り具合は、圧巻、という言葉で表現せざるをえない。まるで冷酷に、怖いくらいに激しく唸っている。
それは、詞の世界観と重なり合い、不穏で痛みを増している。
まるで無表情で 怒り狂う、泣き叫ぶかのようで、怖い、という感覚をも一瞬産むのだが、
何よりも彼女のギターのこの唸り方には、ロックとしての快感を大量にわたしに放出してくる。だからこそ、ぞくり、と鳥肌が立つ。
それにしても、この唄のこのサビはあんまりにもヘヴィだ。
サウンドも容赦なければ、詞も容赦ない。
「あぁ さよなら ああ
これで何もかもわかったよ 今さら口にも出せない
あぁ さよなら ああ
これで 何もかも 終わったね
でもさっきから あやまって ばかり」
「あぁ さよなら」と、あまりにも冷静に、しずかに言い放つ姿とは対照的なまでの、
「でもさっきから あやまって ばかり」という一文。
これは、恐ろしいなあと思う。
あやまってばかり の理由は、きっと橋本絵莉子以外知り得ないのだろう。
そこには、もしかすれば、同情があるのかもしれないし、最後の名残があるのかもしれない。
もしくは、相手があやまってきているのかもしれない。
あらゆる感情の可能性があるのだ。
しかし、そこにどんな感情があろうと、もはや関係ないのかもしれない。
なぜならば、橋本絵莉子は、普通ならば感情的なものとなるこの一文ですら、まるで今までの「さよなら」と言い放つ冷静さ、一種の冷酷さを決して失わなかったのだ。
むしろ、感情を抜いた、まるで「認識」のような感覚を以って唄っているような気もする。
わたしが恐ろしいのは、橋本絵莉子がそういう冷酷な子だったんだ!ということに対してではなく、
感情的になりえるものですら、それをコントロールしてしまう彼女の能力だ。
この詞には具体的なビジョンがあり、同時に、心的描写があまりない故に、
容赦ないサウンドが、彼女の心情を描いているように思えてならない。
彼女は、容赦ない心情なのだとしか最早認識できない。
わたしはそうなのだと思うしかできない。
それでも、答えは橋本絵莉子しか知らない。
だからこそ、この唄は容赦ない。
あんまりにもロック。あんまりにもヘヴィ。
容赦ない橋本絵莉子の表現へのスキルの高さが、心臓を捕えて離れない。






