これは、私的考察からの意見。
社会は色々な個性で形作られている。 多様性のない社会はありえない。
ひとつの例は、賛成・反対。 人命尊重というような根幹にかかわる部分なら反対する人はいないが、
様々な意見・主張には賛否両論。 それが個性の違いでもある。
私に引っ掛かるのは、「みんな○○○が好き」や、
「すべての男性は□□□が好み」と決めてかかっている主張や意見。
こういう意見の持ち主はもちろんそう思っている(信じて疑わない)のだろうが、
一方的な決めつけでしかない。 そして、好みの違う人達もいると考えもしない。
つまり、視野が狭い。 子供の頃、郷土での遊びや方言が全国共通だと思っているのと似ている。
市民的成熟を遂げられない人達。
別の言い方をすれば、違う意見に聞く耳持たず。 意見の優劣などではなく、理解しようとしない。
私の経験から、日本の多様性は幅が狭い。 悪い意味での島国根性、排他的、同化主義。
その中でも、さらに視野が狭い人達は、社会を構成する分子としてお荷物だろう。
それが年配者なら、新しい考えを取り入れることは期待できないし。
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