誰でもやれる革命 -2ページ目

SU「国家と憲法」研究会 第二回

今回は、発表者の関と、山口議員のほかに、
U田さん、S箇さん、I畑さん、S飼さん、A山さん、という7人の参加者。
場所は、京都市左京区西部いきいき活動センターです。

今回も激論が飛び交いまして、本当は後半は「行政学研究会」があったのですが、
延期となりまして、さらに、この国家と憲法でさえ予定を消化できなかったという
荒れ具合でした。レジメが欲しい方はご一報ください。

<内容>
☆前半☆ 世界各国学び取り(関)
13:00~13:50の予定
→13:00~15:10が実際

世界中の国家から学ぶと称して、各国を紹介しつつ、
そこから日本が採用すべき制度を検討してゆくという
連続発表。前回に続いて第二弾。
今回は、<国家の中に国家を有する国>の紹介。UAE
や自由国家連合国、ソマリランドなどから、日本国内で
採用すべき制度案を逐一提案。これが大揉めでした。

☆後半☆ 憲法論 天皇制(山口)幸福追求権(関)
13:50~14:30の予定
→15:20~17:00超

前回に続いて大揉めの天皇制論。保守反動、自民党的、共産党的、
聖と俗、ハレとケガレ、「事実性」の重要さ、果ては三島由紀夫の
文化天皇制まで、憲法論をはるかに離れての議論もありました。
発表者は山口議員。

天皇制だけで終了してしまい、13条の幸福追求権解釈はまた次回。
やはり1日に二連荘で研究会というのは困難かもしれませんね。


シオカラトンボ、急行きたぐに

水曜日のこと。昼下がり。
何気に庭を見ていました。
庭といってもそんなに広くはないです。
でも、物干し竿のそばには、あじさいがまだ咲いています。

シオカラトンボが飛んできました。
あわてて庭に。

シオカラトンボは右へ左へ、うろうろ飛んでいます。
そうだ!と思い出して
左手の人差し指を立てて、そっと掲げてみました。

すると
シオカラトンボがとまりました。
青い青いお腹。
膨らんだりしぼんだり。
息をしている。

シオカラトンボは
ゆっくりと半分ほど身体を回転させてから
どこかへ飛んでいきました。

それはさておき、
その夜は
新潟へ行きました。
12時ちょいすぎ。京都から。
寝台車で行ったのですが、
B寝台の三階というのは、
うわさで狭いと聞いていたのですが、
人が通っても気にならず、
実は快適でした。



若い発想と古い発想

そういえば先週の木曜日は、
<京都エッセーの会>の会合に参加してきました。

エッセーの会自体の会員は20名弱ですが、
集まったのは7名。

何でも次週木曜日(つまり、あさって)は
品評会なのでたくさん集まるそうですが、
今回は配本会なので少ないということ。

集まったのは、還暦を過ぎた方々がほとんど。
物書きを趣味にされている方々ばかりだからか、
なんとなくプチセレブな雰囲気が漂っていました。

さて、そこで自己紹介とばかりに
様々な話題を展開してきました。

日本の伝統のこと、古式泳法のこと、オリンピックの
不公平さ、震災ボランティアのこと、仕事のこと、
1年間車内生活を送った日々のこと・・・・

それらに対する対応やコメントがいちいち面白い。

いつも思うのですが、60年以上生きてきた方々の
発想は、実に面白いです。
若い人の発想を大切にする風潮は広がったままですが、
現役を引退された方々の<古い発想>ももっと重要視されるべきです。

蓄積された体験、その経験からくる発想、昔の社会をベースにした思考法、
それらの良いところを次の世代へ持っていってもらおうという謙虚さ・・・。

メールを自由に使える方はどなたもおられず、
携帯電話さえ危ういので、連絡手段はもっぱら固定電話。

自然に時間厳守。行動は予定をたててからきちんと実行する。
こういう団体行動も固定電話世代の特徴かもしれませんね。










科学技術社会論(STS)の学会に参加して

先日土曜日、STS(社会科学技術論)という学会のシンポジウム
に参加してきました。

長いことこのSTUDYUNIONという<村>で過ごしていれば、
他の<学会>に参加したら、違和感の極まりを味わうことが多いです。

たとえば、必ず講演時間が超過して、質疑応答の時間が削られまくり、
一方的に椅子に座らせらるという苦役をなめさせられるとか、二次会
をわざわざ飲み会にして思考力を低下させて、議論の機会を奪うとか、
こういうことは以前から疑問です。

SUは原則途中質問もあり。喫茶店かレストランで第二ラウンドに
入るのが二次会ですが・・・・


さて、STSとは、科学技術を市民の間で、あるいは科学者間で
コーディネートをするという学問分野のようだったのですが、
ひとことで言えば「難しいでしょう」が感想でした。


難しさの意味を3点だけ、乗り越える方策を1点書きます。


1「専門性の民主化」論批判
 科学技術の知識を、知識が欠如した市民に啓蒙する段階ではなく、
 専門性の民主化を図り、市民参加や政策提言のレベルまで行う必
 要がある。

 という発表がありましたが、科学技術の専門性を時間や意思、
 あるいは能力に劣る一般市民の判断を誘導しようという発想
 のようにも聞こえましたが、二重の意味で困難です。

 まず、科学技術の高度な専門性と主として多数決を最終決定
 原理とする民主主義は、方法論的に相容れないでしょう。

 それから、市民の判断の形成をしようというのは、民意誘導
 抜きにして可能なのか、大いに疑問です。政府や中立的だと
 認識される機関が制度的に実施するのであれば別かもしれま
 せんが・・。


2「東日本大震災」と安易に銘打ったことへの批判
 シンポジウムの題は「東日本大震災から科学技術と社会のこ
 れまでを考える」というもの。しかしながら、次々と発表さ
 れた内容は、原発のみに限定。
 さらに
 その後の限られた討論の中では、原発問題を扱う必要はない
 という学会の研究者の発言まであり、大いに疑問でした。

 真剣な取り組みをされている他の学会や市民団体に対して、
 こんなファッション的に用いるのは、我々の税金が投入さ
 れている知的営為からすれば、失態だったかと思われます。

 東日本大震災と軽佻に銘打つべきではなかったですね。


3「多様な専門性の担保」論への疑問
 発表の内容の一部に「科学の専門分野の多様性をどう集約
 できるか」というものがありましたが、その矛先は真っ先に
 このSTSという学会の専門家達へこそ向けられるべきで
 しょう。他の学会からの友情発表もあったのでしょうが、
 主張は統一感があるとは言えず、どの方の意見が責任ある
 発言なのか、非常に分かりにくかったです。
 
 これは同じ論法ですが、「原子力村」を批判されている方々
 は、まずは<STS村>の批判をしなければならないかとも
 思います。科学に限らずあらゆる専門技術の集団は、共同体
 を作らざるを得ません。それは、現場の技術職でもそうです。

 他者を批判することで、自分達は違うという思わせる論法は、
 児戯、子供だましに過ぎるやり方かと。 
   

乗り越える方策を簡単に書きます。
まずは、啓発型の公開講座を何度も主催し、そして何度も出席
されるリピーターを数十名育成してください。そしたら、その
次の段階として、ようやく市民参加のイベントができます。

ただしその過程はで、先日のように生徒を<動員>したり、利害
関係が絡むような手法では、不可でしょう。
科学技術に純粋に知的好奇心を持ち続ける市民を見つけ出すこと
あるいは育成すること、ここがスタートラインです。

さらに厳しく付け加えたいのですが、
我々は、こうしたスタートラインの形成過程までをNPO、つまり
無償でやっているのですが、プロの専門家が(大半は税金から給与
や活動の一部を支給されているのかもしれませんが)、まだ成果を
出せていないし、その具体的計画を公然とは説明できないという
のは、いかなるものでしょうか。

(ちょっと厳し過ぎましたか)

 関 浩成
   STUDY UNION代表
   NPO法人 科学カフェ京都 理事  

6月第二週 千年の天文学、戦争体験報告

先週末はNPO法人の活動が二つ。

第74回の科学カフェ京都は
小山先生の「京1000年の天文学」。
会場は、京大理学部湯川記念館。
今回も司会をやらせていただきました。

平安時代に既に超新星の記述が残されている。
藤原定家などは、三つまとめて記述するなど、世界でも稀有。
かに星雲の時の記述があるのは日本のほかには中国だけらしい。
・・・などなど、古典も絡めた教養豊かな講義でした。

しかし、後半の質疑応答が大荒れ?!
物理屋さんからの異業種対決のような質問なども飛び交う中、
集中したのは、「宇宙の果てはどうなっているのか」
「宇宙の定義」「ダークマターとは何なのか」
「コークは何でできているのか、なぜその物質なのか」
といったまさしく市民的な質問!

時折、首を傾げられながらも応えられた小山先生でした。

今回は少し少なめの人数(70名ほど)だったので、
後半の質疑応答のやり取りも裁きやすかったです。


もうひとつは日曜大学です。
今回は「特許で左団扇の生活を送ってきたぞ!」
と何でも笑い飛ばされる近所のおじいちゃんの
戦争体験なのですが、やはり、それは重たいものでした。

日曜大学ブログの方に報告をアップしました。
http://blog.livedoor.jp/sundayuniv/archives/3797253.html