「個性」と「個性的」は違う | 話すだけで成績が上がる家庭教師戸田朝海の勉強できないコンプレックス解消大作戦!

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こんにちは。
府中・京王線沿線の家庭教師、戸田朝海です。

前回の記事では、「その子らしさ」のお話をしました。
今回は、そのついでに「個性」のお話をしようと思います。

皆さんは、「個性」について、どうお考えでしょうか?
また、どのようなイメージをお持ちでしょうか?
「個性を伸ばす教育をしよう」
「それぞれの個性を認めよう」

こんな教育観を、最近よく聞くようになったと思います。
一方で、
「奇抜な服装や振る舞いをしている人を見るけど、これも個性なの?」
「人と同じであってはいけないの?」

このように、なにか個性をいいものに思えない人、何が個性なのか混乱してしまう、という人もいると思います。

まず、最初に言っておきます。
個性があることと、個性的であることは、全然違います。

「個性」は、誰にでもあるものです。
同じ人間でも、一人一人顔は違いますよね?(似てる人間は世界に3人いるそうですが…)
この、似てるように見えても、少しずつ皆違う、この違いが「個性」です。
だから「個性」は、誰にでもあります。

どんぐりを並べてみたところを、想像してみるといいかもしれません。
「どんぐりの背比べ」というくらいで、いくつものどんぐりは、パッと見、全部同じに見えます。でも、よくよく一つ一つをつまんで見てみると、一個一個、形も色も大きさも、少しずつ違いますよね? これが「個性」です。

でも、中にはパッと見ただけでも、「これだけちょっと大きいね」「これ変わった形してるね」ってのもあると思います。そういうのは、他のものより違いが大きいので、目立ちます。これが「個性的である」ということです。どんぐりの例で言うなら「個性的などんぐり」ってことになりますね。

まとめると、
「個性」とは一つ一つの違いであり、「個性」は誰にでもあります。
そして、「個性」の持つ違いの差が小さい人(あんまり変わらない人)と、大きい人(他と大きく違う人)がいる、ということであり、違いが際立って大きいことを「個性的」といいます。

だから、集団に埋没していることを「個性がない」なんて言いますが、それは間違いです。個性は誰にでもあります。ただ、その子の個性が、他の子の個性とあんまり大きく違わないってだけね。(あと、埋没してるっていうと嫌な印象ですが、「周囲に溶け込んでる」って言い方もできると思いますよ)

あと、たまに耳にするのが、学校とかで作品を作ると
「皆と同じものを作るな! もっと個性を出していけー!」
と指導されることがあるそうなのですが、「個性を出す」=「皆と違うことをする」ではないと思うんですね。自分の個性を出した結果、他の人と似たようなものになった、っていうのも「個性」だと思います。(わかりにくい言い方だったらすみません)

つまり、個性の近い人どうしが同じ「空」の絵を描くとした場合、それぞれが思い浮かべる「空」のイメージや、それぞれの描く技術にあまり差がなかった場合、似たような絵になるのは当たり前で、それは「個性がない」ということではないんじゃないか、ということです。
むしろ、そういう人に「もっと個性的であれ」といって、無理やり人と違うことをさせたのであれば、本来自分が思うもの、自然に出てくるものと違うことをさせるわけですから、逆に「その子の個性」を無視していることになりはしないでしょうか。

私が子供の頃は、むしろ人と違ったことをすると、笑われたり、変に注目されたりして嫌な思いをしたものですが、最近は逆に、「個性」「個性」と言い過ぎて、物事を窮屈にしてしまっている気もします。

どうも「個性」という言葉を、あまりよく理解しないまま無闇に使おうとすると、こういうことが起こりがちな気がします。「個性」という言葉が、一人歩きしている。

私の意見としては、「個性」なんて誰にでもあるもので、特にありがたがったり、貶めたりするものではない、ということです。
人と違うからいい、ってものでもないし、人と同じでなきゃいけないわけでもない。
違ったっていいし、違わなくてもいい。
そんな感じでいいと思います。

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