これが、消費増税に対して、人々がデモという形で
行動を起こすに至らなかった大きな原因だと考えています。
経済的な政策については、難しいと思われがちですが、
命がかかると思えば、たとえ微分積分だってだれもが
死ぬ気で理解しようとするはずですよ。
(例)今日から1週間以内に微分積分の計算問題ができる
ようにならなかったら殺される、という事態になったら?
たぶん、徹夜してでも死ぬ気でマスターしようとするでしょう。
もう、へ理屈抜きの問答無用状態です。
これが、LF8の欲求のすごさなのですね。
いずれにせよ、
大飯再稼働問題と消費増税問題は、
「政府が事前の安全確認策にかんする準備が不十分にも
かかわらず実行に踏み切ろうとしている」
という点では、まさに共通していますが、
それが人々に訴えかける欲求のレベルが
「生物学的に抗えない欲求」に対してなのか、
「後天的な欲求」に対してなのか、
によって、人々の取る行動がまったく異なってきた、
ということです。
いずれも、後世になって、現在の意思決定者たちは
いかなる決定に対しても責任を負うことはないでしょう。
時の「目立つ為政者」の判断ミスがもしもあったとしても、
そのツケを払わされるのは、いつだって現場で「目立たず努力」
している無名の人たちなのですから。
柴山政行