読解テクニックだけで受験を制してしまったから


もう終わりだ!

受験意味ない!

受験は悪だ!


と極端に考えなくても、


じゃあどうすればいいか?と考えて


どこかのタイミングで

受験戦士的でない学びと出会えれば

問題ないと思います。


そもそも

読解テクニックはロジックの整理・理解なので、

そのスキルも実社会では必要なのです。



ただ、

それだけでは実社会で求められていることには

対応できない場合が多くある


というイメージです。


私の場合は

読書が好きな友人のスピーチはやはり素晴らしく


やはり読書量が物を言うのでは?と考え

中高で読書をしてみようと思えたことが

始めの一歩だったように思います。



受験戦士的な勉強とそうでない学びは


リンゴダイエットで

栄養バランスを崩してでも体重を落として

長期的な健康を犠牲にするか


バランスの取れた食事と運動で体重を落として

長期スパンで健康を捉えるか


みたいなものだと思っています。


数値だけ見てしまうか

見えない質を「理解」して

「実行」できるかというのは


受験だけに限らず

あらゆることに共通する話です。


ただ、受験というものの性質上

数値を求められることからは目を背けられないので


後者を続けながら

最終的な追い込みのタイミングでは

前者的な考えも必要になると考えています。


それが「点数を取る勉強」の部分です。


見えないこと、

つまりある種抽象的な事象を理解できず

短絡的な方法に走る前者は


どこかのタイミングで壁にぶつかります。


嫌な言い方かもしれませんが

そこで修正できなければ

勝手に戦線離脱していきます。


それは、

深海魚といわれる現象かもしれませんし、


大学受験や院に進学してから、

または、仕事を始めてからかもしれません。



ですので、どこに目標を置くか。


長期目線や抽象的な事象は

子どもだけで理解するのは難しいため


こういう部分こそ

親や周りの大人が見せてあげる必要のある世界では


と思っています。


私の場合は

放任系伝統校の教養的な学びに救われた

と感じています。


また、受験も


取り組み方を工夫すれば

実社会に生かす方法はいくらでもある

と考えています。