AFTERMOD E-PRESS 【vol.0034】 (2011年5月06日号)
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00【巻頭】「私援」するということ
01【特集】安藤理智11年目のトランジット 第3話 ~ほほえみの国の落とし穴①~
02【特集】ヤハギクニヒコ『社会学曼陀羅9:社会学曼陀羅09:ボランティアとアナキズム』
03【告知】安田菜津紀 5月19日 パークサイド広尾レディスクリニックにて座談会
04【告知】安田菜津紀 毎日新聞にて記事掲載
05【告知】佐藤慧『週刊FLASH』手記掲載!
06【告知】安田菜津紀『日本カメラ』表紙掲載中!
07【告知】安田菜津紀×NGO・PLASウガンダ写真展「Ekilooto of Uganda」~HIVと共に生まれる~
08【告知】5月15日 ヤハギクニヒコ 鏡明塾
09【後記】ヤハギさん
00【巻頭】『私援』するということ
NPOみんつなでは「志援」という表記になっていますが、一番最初僕は「私援」という表記を提案しておりました。というのも、一人ひとりがやれることをするというのが何よりも大事だと思ったからです。私ができる援助とは何か、これをまず考えないといけないのではないか。誰にでもできるけど、一番難しいことはおそらく「忘れないこと」でしょうね。実際何かを目に見えた行動をするわけではないですが、これも立派な支援なんですね。こういうことでも良いわけです。ニュースはいつも入れ替わります。今回、安藤理智は『11年目のトランジット第3話』で「喜捨」というキーワードを上げます。昔の富の再分配に近いシステムですね。ヤハギクニヒコは『社会学曼陀羅09:ボランティアとアナキズム』で有償・無償について考察します。今回のボランティア活動に限らず、物理的なもの以外でも喜捨的なことはできるのですが、ボランティア活動は「こういうこと」という先入観を持っている方が数多くいらっしゃるように感じます。みなさま一人ひとりの「わたしにできること」を考えるきっかけになればと思い、今回のE-PRESSを送ります。
(笠原正嗣)
01【特集】 安藤理智11年目のトランジット 第3話
~ほほえみの国の落とし穴①~
昨年の5月にバンコク中心部を反政府勢力(親タクシン派=UDD)が占拠し、軍による強制排除で多数の死傷者が出たことは記憶に新しいが、バンコクに住む人間にとっては、それも過去の話となってしまった。
放火されたビルは再建され、ショッピングセンターとしての営業を再開している。一部、再建することも無く、黒くこげた跡が残っている建物もあるが、道行く人たちは気に留めるそぶりさえ見せない。
タイを訪れる外国人観光客は年間1400万人、そのうち日本人観光客は年間120万人と言われている。日本と違い、比較的街中で英語が通じやすい(というより外国人慣れしている)のも、観光客にとっては好都合だ。
さらに、食事の面でも恩恵を受けることができる。タイ料理はもちろん、世界各国の料理が安く食べられるのも大きな魅力の一つだ。
世界に誇る歴史的建造物、豊かな自然。そして穏やかな人々。観光で訪れるには最高の国かもしれない。
さて、そんなタイだが、落とし穴もちゃんとある。
英語を母国語としない国において、流暢な英語(あるいは日本語)で観光客に話しかけてくる人はの多くは悪意を持った人たちだ。留学などを経験した裕福層が、平日の昼間に暇を持て余して観光客の相手をすることなど、ありえない。ちょっと冷静になって考えてみれば分かりそうなものだが、そうもいかないのは外国という非日常が判断を鈍らせているためだろうか。
「私、留学していた時に日本人のお世話になりました。日本人は優しい。私は○○(あまり有名でない日本の地名が出てくることが多い)に住んでいました。」と言われると、旅先での出会いに浮かれた日本人はすぐにだまされてしまう。
詳しくは『地球の歩き方』の巻末にいろいろな事例が出ているのでそちらを見て頂くことにして、詐欺などの被害に遭う日本人は後を絶たない。
そんな悪い人たちばかりでは無いが、やはりタイ語が話せない外国人は、価格などの面でタイ人と異なる事も多い。外国人が有料で参拝する寺院であっても、タイ人は宗教上の理由から無料である事も多い。遊園地などでは英語で書かれている入場料と、タイ語で書かれている入場料が違ったりもする。
なぜ、このような二重価格が存在するのだろうか。
タイで物事を考える上で、仏教を切り離して考えることはできない。そしてその中の重要なポイントとして「喜捨」という考えがある。
持てるもの(富裕層)は持てないもの(貧困層)に施しをするのが当然という考え方だ。
一部の上流階級を除けば、概して外国人よりは貧しい生活をしている。少なくとも飛行機に乗ってきて、ホテルに泊まることができる人間は裕福に見える。
つまり、お金を持っている(であろう)外国人に対して、高い金額を言うのはあたり前のことであり、何ら罪の意識があるわけではないのである。だからこそ、納得して買った後で「ぼられた」という外国人に対して、タイ人は冷たいのである。
幸運にして、タイ人と知り合った日本人が食事に行った時、財布を出そうとしないタイ人を見て「図々しい」というのも、また話しが違うのである。
一億総中産階級という意識の中で育った日本人にとっては理解しがたい事かもしれないが、これがタイの「見えないカースト社会」であり、その中での常識から言えば、お金を持っている(であろう)外国人が、その場にいる全ての人の分の食事代を払うのが道理なのだ。たとえそこに、自分が直接招待していない人が交じっていたとしても、だ。
余談だが、タイ語の学習を始めた頃、こんな例文があって驚いたことがある。
「このホテルの一泊の代金は、私の一ヶ月の給料と同じ値段です。」
タイの社会において、ホテルに泊まるという事がどれだけ難しい事かお分かり頂けるだろうか。
<続く>
(写真+文章=安藤理智)
02【連載】ヤハギクニヒコ『社会学曼陀羅09:ボランティアとアナキズム』
震災翌日に立ち上げた「NPOみんつな」の活動をする中で、ボランティアの在り方について色々と考えることが多くなってきました。支援金を活動維持費に使用することについて、色々と議論も在りました。実費弁償すら認めたくないという学生の意見もありました。さて、果たしてボランティアのあるべき姿とは、どういうものなのでしょうか。
もともとボランティアというのは「自由意志の人」という意味のラテン語です。自由意志による共闘というのはアナキズムの基本でもあります。ボランティアの定義は「やる気・世直し・手弁当」すなわち、自発性・社会性・無償性の三つが核となります。では、一体アナキズムとは何が違うのか。一番の違いは動機です。社会性というのは広く社会のために、と言う大義であるわけですが、アナキズムの場合、かなり個人的な価値観によります。ただ、その個人的な価値観が、結果的に社会性を帯びていることは往々にしてあります。例えば、自分が幸せに暮らしたい→そのためには自分の住む地域が平和で安全な方が良い→自警団を組織して夜回りをしよう、と言う具合です。「情けは人のためならず」と言いますが、これは他人に情けをかけることで、結果的に自分に返ってくると言うことです。究極的には自分のためにすることも、他者のためにすることもあまり変わりはないと言えるかも知れません。自分を開いて、拡張していくことで、アナキストはボランティアになります。そういう意味では、ボランティアとアナキストは非常に近いと考えられます。アナキストと言うと無政府主義という訳語や、スペイン内戦の義勇兵を思い浮かべる人も多いと思いますが、実際ボランティアには志願兵という意味もありました。
ボランティア活動に携わる中で、どうしても避けて通れないのが、その無償性に対する立場です。もともと貧困問題に対してアクションを起こしたことが現在のいわゆるボランティア活動の起源です。そのため、どうしても無償性が取り立たされます。しかし、今回の震災支援においては、現地に入り込んで時間をかけて行うことが必要な役割も多く、そうなるとどうしても仕事や生活を犠牲にするボランティアも出てきます。本来、自発的であるので生活を犠牲にするもしないも本人の選択によるのですが、そういう気持ちで活動をしている人達に対して、それが出来ない人がサポートするという感覚はもっとあって良いと感じます。
「有償ボランティア」という言葉がありますが、これがボランティアといえるのか、という議論は以前からありました。語義的には有償である以上、無償性を定義の軸とする現在のボランティアとは矛盾してしまいます。ですから、全国社会福祉協議会などの組織では実費弁償を超える報酬がある場合「有償ボランティア」という言葉を使わず、「有償サービス」「有償ヘルパー」という言葉を提唱していたりします。しかし、それはそれで商業的なイメージが強すぎ、自発性や社会性から遠のいて聞こえてしまう気がします。言葉の問題は、案外大きな影響を及ぼします。一番大事なのが言葉でないのはもちろんなのですが、その影響力を考えずにラベリングしてしまうことは色々な問題を誘発します。「有償」という言葉はあまり良いイメージがありません。せっかくの活動がなんだか打算的に見えてしまいます。そもそも無償性がボランティアならば、いちいち有償と付けないことでイメージは変わります。「スタッフ」と「ボランティアスタッフ」というように使うだけでも随分と印象が変わると思います。
僕自身は、ボランティアとして活動に参加した人への金銭的サポートはある程度必要であると考えています。しかし、完全なる無償ボランティアの存在というのは、その組織の試金石になるとも考えています。無償でもその組織に所属して活動したいという思いが集まるような組織は健全で理想的なヴィジョンと実践があるのだと思います。線引きをするのはなかなかに困難ですが、慈善と報酬を二項対立みたいに考えるのは良くないのではないかと考えます。正直者が馬鹿を見ることのないように、気持ちのある人を、その気持ちに甘えずに周りがちゃんと評価してサポートしようとすること。それこそが「手前味噌」を嫌う日本人の粋であって、「情けは人のためならず」の実践である気がしています。
(ヤハギクニヒコ)
03【告知】安田菜津紀 5月19日 パークサイド広尾レディスクリニックにて座談会
いつも写真を展示して頂いているパークサイド広尾レディスクリニックにて、
第7回ミニ写真展(19:30~)陸前高田での活動報告を踏まえた座談会を予定しております。
お時間がよろしければぜひお越し下さい!
(無事終了いたしました。ありがとうございます。)
04【告知】安田菜津紀 毎日新聞にて記事掲載
試行錯誤してようやく仕上げた原稿と写真とキャプション。次週毎日新聞に陸前高田の写真記事の掲載です。文章は佐藤慧、写真は陸前高田市の入学式を撮影して頂いた3人の写真家さんと私。5人の力が合わさって1つの記事を仕上げる、素敵な作業でした。また詳細告知させて頂きます。
05【告知】佐藤慧『週刊FLASH』手記掲載!
5月11日発売の光文社『週刊FLASH』(2011年5月24日号)に、
3ページに渡り佐藤慧の手記
『28歳ジャーナリスト「母を捜しつづけた30日」』が掲載されました。
是非お手にとって頂ければ幸いです。
http://www.kobunsha.com/shelf/magazine/current?seriesid=101002
06【告知】安田菜津紀『日本カメラ』表紙掲載!
日本カメラ 2011年 05月号の表紙と口絵ページに
安田菜津紀の写真を掲載して頂いております! 是非お手にとって頂ければ幸いです。
07【告知】安田菜津紀×NGO・PLASウガンダ写真展
「Ekilooto of Uganda」~HIVと共に生まれる~
(6月現在、終了いたしました)
エイズ孤児支援NGO・PLASの皆様との写真展が始まりました!
●ウガンダ写真展「Ekilooto of Uganda」~HIVと共に生まれる~
▽5月3~16日 C’s Fort(表参道)
▽5月17~31日 BODY WILD Under wave原宿本店
http://www.plas-aids.org/waod/2011/event.html
現在開催中の会場はこちらになります!
※開催時間が変更になっています!
【会場】C’s Fort(表参道)
※ 地図→ http://csfort.fumotoya.com/access.html
【開催時間】11:00~22:00
【主催】エイズ孤児支援NGO・PLAS
【共催】世界銀行情報センター(PIC東京)、
株式会社スタディオアフタモード
08【告知】5月15日 ヤハギクニヒコ 鏡明塾
さて今回は『認知心理学入門』です。
前回の写真論にも大いに関係する、認知心理学。
自分の感覚がいかにコントロール出来ていないかを感じることで、
表現の可能性について考えて見たいと思います。
[国語力研磨コース]17:05~18:50
・神奈川県民センター(306教室)
[世界科風雅コース]19:05~20:50
・神奈川県民センター(306教室)
・テーマ『認知心理学入門』
神奈川県民センター(神奈川区鶴屋町2-24-2)
横浜駅西口」より徒歩5分
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/02/0051/center/access.html
参加費用は各コースとも一般・大学生2500円、中高小学生2000円(会費・教材費)です。
(※中高生が一般コース、一般の方が中高生コースを受講することも出来ます)
(※参加費は当日お持ちください。振り込み希望の方はお申し出ください)
申し込みはメールにて承ります。
タイトル【鏡明塾予約】日付・コース・名前(参加希望者全員分) で
yahagi.sa@gmail.com
までお願いします。ご要望、ご質問等もこちらまで。
では、みなさんの御参加、お待ちしております!
09【後記】義務と自由意志
日本の武士道にもかつてはノブレス・オブリージュの思想がありました。持っている者が持っていない者を助ける。そんな当たり前のことが、今は崩れてしまっているように思います。かつて助けられた人や、自分の生活をなげうって支援活動をする人々を尻目に、中流以上の生活を保つサラリーマンは、自分たちだって不景気で大変なんだ、と居直っているように見えます。自由意志というのは大事です。しかし、持っている者が持たざる者へ分配することこそが、貨幣経済の平和への可能性だ、とルドルフ・シュタイナーは言いました。資本主義でも共産主義でもない、もっと良いとこ取りをした中庸を突き詰めていかなければいけない気がします。日本の近未来を案じつつ、また次週お目にかかります。
(ヤハギクニヒコ)













