息子と5歳差で娘を授かりドタバタ絶賛子育て中のある日、
娘を抱っこして手すりのない階段を壁に肩を擦りつけて降りながら(賃貸)
「いつになったら楽になるんだろう…」
と泣きながら考えていたわたしは
はたとあることに気付きました。
昔からいつもいつも、自分が
「いつになったら楽になるんだろう」と考えていることに…。
ぞっとするような気付きでした。
今までずっといつだって楽じゃなかったってことでしょう。
どんな時もわたしはいっぱいいっぱいで
ええかっこしいなので傍にはそうは見せないようにしながらも
子どもがいない頃、好きなことで稼いでいた時代も
いつもいつもなんだか一人になると疲れ果てていたし
ずっと楽になりたいと願っていた…。
これは何かがおかしい。
どこかで掛け違えている。
これではいつまでも楽にはならない。
そこでこのことに気付くことができたのはほんとうに幸いでした。
聡明な頭脳と直観力をくれた親に感謝します。
解決すべく何をどう検索したのかは忘れてしまったけれど、
そこでわたしが出会ったのが、
「ごきげん道」という本でした。
正確には
【自分を「ごきげん」にする方法】
辻秀一著
他人や環境やな何かのせいにして不機嫌になっている場合ではない。
大人なら自分のご機嫌くらいとれなくてどうする。
むしろ取るのがマナーというものだ。
くらいの勢いで、自分がごきげんでいられる秘訣が綴られていました。
もちろんこれで寝不足が解消するわけでも、
自分のための時間が増えるわけでもないのですが、
外界に振り回されない考え方を知ることができたのは救いでした。
特に人間関係でしょうか。
他人の不機嫌にも振り回されなくなるわけです。
誰かが不機嫌でいる時、ついつい「自分のせいでは?」と考える癖があったのですが、
それは本人の問題であってわたしには関係ない。
構わず自分はご機嫌で過ごせばいい。
怒っている人がわたしのせいにしてきたとしても
種がその人の中になければわたしが同じことをしてもその人は怒らなかった
そう考えることでバウンダリ(境界線)が作れたといえるかもしれません。
何にでも意味づけをする癖もあったのですが(スピリチュアルあるある?)
現象はただの現象である、と割り切れるようになったのも大きかったように思います。
そして、自分がごきげんで過ごせるようになってくると
ごきげんな未来が創られていく現象を目の当たりにすることになるのです。
イマココをハッピーにするのですから、今を元に創られる未来がハッピーになるのは当たり前ですよね!