背負って生きて...
彼を殺人にまで追い込んだものは何だったんだろう...?その命に何を背負っていたのだろう...?絶望の淵で何を見るのかどこへ目を向けるのか意識をどこへ向けるのか自分の感覚をどうのように捉えるのか『考え』は感覚によって左右されてしまう。嘘か本当か分からない情報が流れてくるたびに、何があったのだろう?とぼんやり考える。いけない事を『ダメ』と言い放つ『だけ』では何の解決にもなりはしない。日本人は本当に教えるのが下手くそなんだと思う。『答え』だけを言い放つ事が『教える』ではない。...自分の『応え』を導き出す...そんな自分の応えが出てくるまで一緒になって考えて一緒に時間を過ごして一緒に導き出す...一緒にやって『やり方』を示す。それが本当の『教える』だろう。手間も時間もかかる。応えを導き出す方法を持たずに、憎しみや怒りの中で生きてきた人が、『歪んだ応え』に行き着くのは仕方がない。と、思えるのです。手間も時間もかけて人、一人と向き合っていく...今の大人達にはそれが出来ない。自分も含めてほとんどの大人達も、『自分の応えを導き出す方法』を知らないように思えます。教えながら自分も一緒に学んでいく...そういうものなのかもしれないな...絶望の淵で...それでも生きなくちゃいけない人って本当に大変な生き物だ。