思い出をつらつらと
どうしてこんなに不器用なのだろう。自分の身体なのにどうしてこんなにままならないのか。自分の心なのにどうしてこんなにつかめないのだろう。ホントまったく別の生き物みたいだ。自分自身なのに。大人になって分かったことが一つ。『大人になっても自分のことがわからなまま。そうやって一生を過ごす人の方が多い。』ということ。それはちょっと悲しく思える。いまから3年ほど前、本郷綜海(ほんごうそみ)さんのヒーリングスクールに行くことにした。『ヒーリング』が何なのかも知らないまま。そのスクールで学んだグラウンディングが日課になった。『自分の感じ取る力を否定してはダメ』スクールで得た一番の学びだった。…自分のことを信用しない。それくらい慎重にいこう。…僕は昔、そういう人だったようだ。書いていて分かってきた。(笑)僕は自分の感覚を一切信用して来なかったから、『信じていいよ』というか『疑うな!』という教えは一つの救いだった。『自分の感覚を信じる』というのは、一つ間違えると『ひとりよがりの痛い人』になってしまいそうだし、もっと間違えると『別世界の住人』になってしまう。そうならないためにも自分の『感情』に『自覚的』でいる必要がある。つまり、『感情や情動に乗っ取られないでいる』ということです。その役に立ってくれるのがグラウンディングな訳なんですが、…ま、言ってしまえばグラウンディングは『ただ立っているだけ』なのですが、このただ立っている間に『自分の身体に意識を向けつづける』そして、『自分の身体の感覚を拾いつづける』ということをしています。このそみさんのグラウンディングはとても特殊で、このグラウンディングをスクールでは徹底してやっていました。スクールでは座学もあるし、ヒーリングの実習ももちろんありました。そのグラウンディングが習慣になっていて、今もつづけている。感情や情動と観察者としての自分…その分離…僕のグラウンディングは…スクールで習ったものとはすっかり違うものになってしまっているけれど、身体に意識を向けて感覚を拾いつづけるのは同じです。身体の感覚…自分の感情…その時の思考…色々なものが自分の中で起きては消えていく。自分をつかむための自分とつながるための自分を知るための大切なグラウンディング。…自分の中で何が起こっているのかな?…その分析ができるようになれば、ままならない自分自身のことが少し理解できるようになってくる。観察者の自分が育てば、感情や情動に乗っ取られることが少なくなっていく。『感情や情動が自分自身ではない』そのことを実感して理解している人は本当に少ないように思います。苦しみ…その苦しみと怒りの奥に何がある?悲しみ…その悲しみの奥にあるのはなんだろう?感情は消えることは無い。感情は反応だから。出来事に直面した時の自分の、心の反応。その感情という反応の奥には『反応した理由』がちゃんとある。その理由を見つけてちゃんとケアをしてあげるそんなことを学んだ。それからずっと自分にそうしてきたし、これからもそれをつづけていくのでしょう。…ヒーラーとは自分を癒しつづける人のこと…そのようなことをそみさんが言っていた。ヒーリングとはエネルギーを流すことを言うのではない。感情という反応の奥にある『反応の理由』を見つけてケアをすることを言うのだろう。そのように思っています。僕にはそういうことを学んだスクールだった。