例年その音色に誘われるように初詣に出かける。
少女達の活発な太鼓を肌で感じながら御神酒を頂く。
寒空を見上げるとオリオン座と西に傾きかけた月が風にゆれていた。
一ヶ月ほど前からジョギングを始めた。
ジョギングと言っても歩くのと大差のないスピードでだ。
15年前から毎日一万歩前後の散歩は欠かさずしている。
しかし歩くだけでは、足腰が衰える一方だと気付いたからだ。
散歩の途中に公園一周から始め徐々に増やしている。
そして、最近夜のジョギングである事に気付いた。
夜の公園を走っていると(と言ってもスロージョギング)心地よいのである。
ちょっとした幸福感、それよりも小さな歓びと言った方が良いかもしれない。
少し前にFacebookで15年前病気で入院した時にお世話になった先生と友達になった。
月間3~400Km走るという。
100キロマラソンも7回も完走しているという。
100キロも42、195キロのマラソンも共に相当速い。
上位1パーセント以内だ。
なぜそれだけ走り続けるのだろう。
走る事がまるで人生そのものの様だ。
スポーツというのは、依存症、スポーツ中毒になり易い。
私も水泳をやっていた頃は、泳がずに居られなかった。
泳ぐのが好きという訳ではない。
勝ったとか記録が伸びたとかの快感のため泳がずに居られなかったのだ。
しかし、走るというのは違う感じがする。
もっと根源的な本能に根ざしたもののようだ。
人間は、歩くのではなく走るように進化したという説がある。
獲物を追いかけて走る、身を守る為に走る。
走る事によって食糧を得、走る事によって生き延びる安堵感。
走る事によって快感を得るということは、子孫繁栄の為の性交の褒美としての快感と何処かにているのではないだろうか。
