NHK歴史ヒストリアで「吉原花魁(おいらん)の真実~江戸・吉原遊郭の光と影~」を見た。
上野に所用があり、また興味もあったので投げ込み寺で有名な浄閑寺を訪ねた。
1855年11月11日の安政の地震(江戸直下型地震総死者一万人、吉原の死者1020人うち遊女530人、ほとんど火災にによる死亡)による遊女の遺体を投げ込む様に寺に運んだことからこの名前が付いたという。
また、当時の遊郭には肺結核や梅毒などの疫病が流行しボロボロになるまで客を取らされ死亡した遊女を、無縁仏として捨てられるように埋葬されたことからの由来だ。
新吉原総霊塔。
生まれては苦界
死しては浄閑寺
二百年近い新吉原の歴史の中で亡くなった遊女二万人の無縁仏が眠る。
借金のかたとして親に売られた少女たちの悲しい物語は無数にあるのだろう。
この日の霊塔は、暖かい陽射しに包まれていた。
この寺には山谷労務者の霊をいたわる「ひまわり地蔵尊」もある。
ここにも、日雇い労働者として働き、ひとり寂しく死んでいった男たちの名もなき物語があるのだ。
350年ほど前、徳川家綱の時代に日本橋人形町より移転した新吉原。
当時の新吉原揚屋町は、現在の台東区千束四丁目付近。
花魁時代の華やかな吉原の雰囲気や文化の香りは、全く感じられない。
さびれた現代の風俗街だ。
客引きの黒服の声が虚しくひびく。
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