みろく沢炭鉱資料館から約一時間ほど

ドライブして北上しました

目指すは浪江町にある震災遺構です

 

この記事は

東日本大震災の際、津波被害にあった

震災遺構『浪江町立請戸小学校』を

訪れたときのものです

 

 

 

「浪江町(なみえまち)」はニュース等で

知っている方も多いかと…

(DASH村があることも公表されました)

 

福島第一原子力発電所の事故により

全域避難指示が出されたため

居住者が一時 0 人となった町

 

一部の避難指示は解除されましたが

現在も「帰還困難地域」が

町内の半分を占めています

 

いわきからは少し距離があったので

元々は行く予定ではなかったのですが

やはり福島まで来たのだし

東日本大震災の時を知る者として

同じ時代を過ごしてきた者として

また日本人として…

一度は訪れるべきでは?と思い直して

急遽向かうことにしました

 

常磐道を北上している途中

ガイガーカウンターを目撃し

当時より数値が下がっているとはいえ

まだ何も終わってないことに気づく…

 
常磐道から一般道に降りてしばらく進むと
流れる景色に違和感を感じる
 
歩いている人、一人もいない
ポツン、ポツンと家が建っているけど
人の気配が全くしない
 
どの家も立派だけど、よく見てみると
ドアが外れ、障子が破れた家ばかり…
長年放置されているのが一目瞭然なのです
それに気づいた時、静かな衝撃を受けました
 
人が生活していないっていうのは
なんというか…雰囲気というか
空気感が全然違うんだよね…

 

2011年のあの日から
時が止まったままのゴーストタウン
 
そのエリア自体は一応避難指示が
解除されているようですが
それにも関わらず
誰も戻ってきていない、というか
戻りたいけど現実問題戻れないんだろうな…
 
11年たった今でも
原発事故による影響は現在進行形
真の復興はまだまだ全然先のようです
 

海岸に近づくにつれ

今度は津波の爪痕を目の当たりにする

 

カーナビに表示されるお店や建物は存在せず

ただただ更地が広がっているのみ…

すべてを飲み込んで流してしまったんだと

その脅威に呆然とするしかない

 

震災後に建てられた建物が

ポツポツとあるけれど

一目で新しい建物だと分かる

 

周りに高い建物がないので

ある意味見通しの良い海岸沿いに

ひときわ目立つ建物がありました

 

震災遺構『浪江町立請戸小学校』

 

東日本大震災によって発生した

10mを超える大津波に襲われたものの

生徒・教職員全員が無事避難できた

奇跡の学校と呼ばれています

 

 

福島県内唯一の震災遺構であり

「震災を風化させず、多くの人に震災を

自分事として捉えて欲しい」との思いから

被害を受けた校舎を保存し、

2021年より一般公開されています

 

 

震災伝承施設に登録

 

東日本大震災から得られた実情と

教訓を伝承する施設のこと

 

青森、岩手、宮城、福島の4県で

約340ヶ所が登録されていて

『いわき・ら・ら・ミュウ』もその一つ

 

 

入館料 300円/人

 

 

2階建ての校舎

 
2階のテラス付近に設置されている
青い看板が津波到達点表示です
 
請戸地区は約15mの津波に襲われました

 

 

2階の床上10cmまで浸水したとのこと

思った以上の高さに驚きました

 

1階にあった1~3年生の教室

 

一般公開にあたり、がれき等は

片付けられているようですが

壁の状態や歪んだサッシを目の当たりにして

もう言葉を完全に失う…

 

 

 

折れ曲がった柱

 

窓側(写真左)から津波が押し寄せたので

逆くの字に曲がってしまっていました

 

 

消火装置の錆びた蓋

 

海水による錆だと思われるので

完全に浸水したことが分かります

 

体育館非常口の扉

 

 

 

 

印刷室の内部

 

この部屋の中だけは、あえて片付けず

当時そのままの状態で残されています

 

斜めに傾いているのは

壁から引きはがされた複合盤

 

各教室の時計や火災報知機などを

一元管理していた複合盤ですが

津波によりむき出しとなり機能停止…

 

 

そのため、学校に設置してある時計は

全て15時37分で止まっています

 

 

校長室

 

頑丈な金庫さえ横倒しに…

 

ランチルーム

 

調理場

 

調理道具など、調理場にあったものは

奥の部屋に流されていました

 

震災後、アスファルトの割れ目から

新たに芽吹いた桜の木

 

春になるとキレイな花を咲かせるとのこと

すべてを飲み込む自然の脅威と

新しい生命を育む自然の力が

この一本の桜によって伝わります

 

奇跡の学校と呼ばれる請戸小学校…

教職員・生徒たちは実際どのように

避難したのか?


当時の避難状況を描いた絵本

「請戸小学校物語大平山をこえて」を元に

パネル展示で説明されていました

 

地震発生時、

1年生11人はすでに下校していましたが

5年生は体育館で卒業式の準備中で

そして2~6年生までの児童82人が

校内に残っていました

 

揺れが落ち着いたタイミングで校庭に集合

 

実は、校庭の次の2次避難先は

2階の西側の音楽室だったそうですが

たまたま少し前にソーラーパネルが

設置されていていたため

奇跡的にTVの電源が生きてたらしく

児童が校庭で待機中、一度校舎に戻った教諭が

テレビで大津波情報を知ったため

三次避難先の大平山へ避難することに…

 

14時54分

大津波警報の発令を防災無線が知らせる中
教職員はすぐに児童に対し避難を促し

学校から約1.5キロメートルも離れた

大平山を目指し避難を開始します

 

向こうに見えるのが大平山

 

実際に目にしてみると

ずいぶん遠くに感じます

 

今はこうして見通しが良いですが

当時は住宅などが建ち並んでいたはず

 

高学年の生徒さんたちが

低学年の小さな子たちの手を引いて

あの山まで一生懸命に走って走って…

 

その頃、教頭先生は学校に残り

子供を迎えに来た保護者に

・子供たちは全員、大平山に避難していること

・子供たちとの合流は大平山の上

であることを伝え、避難を呼びかけ続けます

 

15時15分

生徒たちが大平山のふもとに到着

 

引率の先生が知らなかった山への入り口を

4年生の男児が知っていて

その道からみんなで山を登っていきます


同じ頃、まだ学校にいた教頭先生は

保護者の来校が止まったため

最後に学校に誰もいないことを確認し

15時25分

大平山に向けて車で避難開始

 

15時33分

沿岸部に第一波が到達

 

そして15時37分

請戸小学校に津波が到達…

 

 

 

 
小さい1年生が既に帰宅していたこと
たまたま設置していたソーラーパネルによって
TVから情報を得ることができたこと
保護者に生徒を引き渡さず
生徒全員が一緒に避難したこと
生徒が比較的冷静だったこと
高学年の生徒が低学年の生徒を
ケアしてくれたこと
山に入る近道を知っている生徒がいたこと…
 

結局、避難した大平山の麓にまで

津波が到達したものの

数々の奇跡が重なり

全員無事に避難することができました

 

体育館の入り口

 

大きな丸太が挟まったまま…

 

 

5年生が卒業式の準備をしている時に

地震が発生

 

床が歪んでしまっています

 

 

 

 

 

校舎2階へ続く階段も

海水の影響か、錆びついていました

 

 

 

2階は津波被害後の請戸地区や被災体験談

請戸小学校関連物品などが展示されていました

 

2016年2月に回収した黒板

 

震災後、行方不明の方の捜索にあたった

自衛隊、警察や消防の方々による

激励のメッセージが書き込まれ、

その後、一時立ち入りの際に立ち寄った住民や

卒業生の思いが綴られていましたが

書き込みが増えたため回収し展示しています

 

 

この向こう300m先に海岸線があります

 

津波の破壊力、凄まじさに恐怖を感じつつも

教員・生徒全員が無事だった事実があるので

静かな気持ちで校内を歩くことができました

 

でも簡単に言葉にはできない気持ちが

ずっとグルグルしてました

 

見学者も割と多い感じだったけど

空っぽの教室や展示物を前に

やっぱりみんな口数少なく…


『奇跡の学校、浪江町立請戸小学校』

もちろん数々の奇跡が重なって

全員無事だったということは

本当に素晴らしいことなのですが

この小学校がある請戸地区では

津波により亡くなった方が95名

行方不明者が24名いらっしゃいます

生徒さんは無事だったけれど

そのご家族が亡くなられた方もいて…

 

単に奇跡だけを取り上げるのではなく

『震災を風化させず、多くの人に

震災を自分事として捉えて欲しい』

そんな想いで残された校舎

 

当時、私は何もできなかったけれど

そして今も大したことはできないけれど

せめてここに来て感じたことを忘れず

防災に関する正しい知識を持ち

これから先の災害に正しく備え

冷静に行動できるよう心構えておこう…

 

10年目の節目には特にテレビでも

たくさんの特集が組まれ

請戸小学校の取材番組も視聴しましたが

TVで観るのと実際に現地で見るのでは

全然、全然、全然違いました

 

何が違うかはうまく言葉にできない

校舎を取り巻く空気感というか

海風とか音とか匂いとか…

とにかく目の前にリアルにあるってこと

 

ぜひ足を運んでその”何か”を感じて欲しい

 

震災遺構を訪れる人が増えれば増えるほど

そこで何かを感じる人が増えていき

その人を中心に防災意識が広がっていき

次に来る”いつか”のその時に

誰もが命を守る行動を取れるように…

 

そんなことを感じながら

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