しばらくブログに触らなかった。
「良い映画を観るまでは書かぬ」という
下らない考えがあって、
ただ間が空いてしまったのです。
開けてみるとペタなどを貼ってくれた方がいらっしゃる。
嬉しかった。ありがとうございます。本心でございます。
さて
まるで火のついた車が病人を乗せて走るように、
ますます世間は暗い方へと突っ走っているようですが、
それを誰もが歓迎しているのだから、
拍手して万歳三唱なのですから、もう仕方がない。
もうどうにでもしてくれ、そんな投げやりの心持ちで過ごしております。
そんなことより映画だ。
さて『田園に死す』でございます。
ずっと避けていた映画です。
寺山修二さん、名前だけは知っていた。
どうも傾奇者めいていて、先に苦手の印象がありました。
これはワタクシらしい偏屈な考えなのですが、
現代に芸術家さんなんてのは不在、不可能。
どんな人間に会っても、話をしても、何かの創作を眺めても
これに変わりはないように思います。
近頃は、アーティストなどと名乗る方が多く、
その度、
「本物っていうのを知ってんのか、え?」
「 本物っていうのはなあ」
「 誰にも解らないことをやって誰にも知られることなく」
「つまりは世間に顔を出さない。出てこない!」
「 それで彼らは決まって神経衰弱にやられてさ」
「だからね、芸術家なんてね、いらっしゃらないの!」
なんて馬鹿げた反論などしませんが、
どうも、「はい、僕は私は芸術家です」という種類の人間に
敬遠を覚えてしまう、やはりひねくれてるのかしら。
それで寺山修二さんにも、勝手な印象が立ちまして、
したがって、その映画を観ることに躊躇うところがありました。
しかも邦画だ。邦画はいけない。少なくとも自分には。
どうにも話がおかしくなってまいりました。
なので映画について、そろそろ書かせて頂きます。
(なにが書かせて頂きます、だ!)
前半は変てこりんの他ない。
平均の造りでない映画は、けっして嫌いではありません。
前衛だって好きだ、そういう自覚がある。しかし
これは変てこりんの程度がない。
「どうだ、こんなおかしい世界を知ってるかい?
俺はいつもこんな危なっかしい空想で遊んでるんだぜ」
という調子だ。(それは一体どういう調子なのでしょう?)
わざとらしい変てこりんはいけない。
とにかく気持ち悪いところを持ってきて、並べて、見せびらかし、
「どうだ、見よ、我が才能を!」という感じがしていけない。
主人公の少年時代、辺境の因習、母親への愛憎、性、
そこら辺がテェーマらしいのですが、
鈴木清順監督作品は楽しくても、これは変質的で喰えぬ。
ところが後半、俄然良くなる。
現在の主人公が登場し、少年時代を行ったり来たり、
面白いのかしら? 面白いようだ。
殊にラストシーン手前、
「津軽半島の地図を見たことがあるだろう…」から始まる
一人芝居というのかしら、
これには高揚した。
平生、どん底みたいな気分の他に知らぬワタクシめが
高揚した。(それがどうしたっていうのでしょう)
興奮して家族にも、この場面を見せたところ
「なんだ、これは。やめてくれ」それだけ言われた。
そんなことはどうでも構いません。
結局のところ、随分面白がって観てしまった。
刺激され、4月から使い物にならなかった頭が
少しは動くようになった。
久方にこうしてブログを書いてみましたが、
やっぱりおかしい話ばかりになってしまいました。
