2020年1月結の栗橋における、JUNさん(西川口所属)の公演模様を、演目「雪女」「そば屋」を題材に、「日本の美」という題名で語りたい。

 

 

 

 

二作品とも、すごくインパクトの強い内容で、お正月や寒い冬の時季柄に合わせた作品だ。しかもJUNさんの場合とても日本的だ。

ステージ内容を紹介したい。

まずは、演目「雪女」。なんと「すべて雪女という曲のタイトルなんです」。すごく凝ってるねー。

最初に、暗い中、ナレーションが入る。キッズソング ドリーム の曲「雪女」だ。

これは、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が書いた著書『怪談(Kwaidan)』の中にある雪女伝説が元ネタになっている。ナレーション(原作)は次のように続く。・・・

武蔵の国のある村に、茂作と巳之吉という2人の樵が住んでいた。茂作はすでに老いていたが、巳之吉の方はまだ若く、見習いだった。

ある冬の日のこと、吹雪の中帰れなくなった二人は、近くの小屋で寒さをしのいで寝ることにする。その夜、顔に吹き付ける雪に巳之吉が目を覚ますと、恐ろしい目をした白ずくめ、長い黒髪の美女がいた。巳之吉の隣りに寝ていた茂作に女が白い息を吹きかけると、茂作は凍って死んでしまう。・・・

舞台では、暗い中、JUNさんが白い着物姿で現れる。銀の帯をしている。白い足袋を履き、盆の上に進む。そして盆前の一人の客の顔に息を吹きかける。ゾクッとする。

また、おもむろに、他の客の顔に、自分の長い髪を揺らして上から叩きつける。お客は驚く。強烈な演出である。

音楽が変わる。葉のついた青紫色の花を一輪持つ。

銀の帯を解いていく。その下の白い紐も解き、白い襦袢姿になる。青い帯をしている。

二曲目は、Ningen I suの「雪女」。

音楽が変わり、袖のところで襦袢を脱ぐ。下には透け透けの白いドレス。

青紫の花をもち口に咥えて、盆に移動する。

三曲目は、宝塚歌劇団の「雪女」。

ベッド曲は、TEAMS +NOAH + REPEAT PATTERNのアルバム「KWAIDAN」の中の三曲目「yukionna」。

立ち上がりは、JAYWALKの「YUKI-ONNA ~雪女~」。作詞:知久 光康、作曲:中村 耕一。

(歌いだし)♪「夜より密かに君月より静かにまた 夢より遠くで呼ぶ氷の炎に包まれて 夜空を舞い 雪を撤く寂しいほど自由に百万分の一秒の恋突き刺すように 永遠に 変わることなく綺麗なまま 閉じこめたい抱きしめて 融かしてしまえば今はダイヤの 涙が流れる 彩より総てを ...」 とてもキレイな歌詞でメロディだ。

 

よく雪女というタイトルの曲をこれだけ集めたものだと感心する。と同時に、これだけの一流ミュージシャンたちが何故これだけ「雪女」にこだわって曲にしたのかと思う。今回の作品を今の時季柄にあった妖怪ものとして、単に面白おかしく受け止めていいのだろうかと思うようになってきた。

いつものように、教えてもらった曲をネットで調べて聴きこんでみた。

その中で、ベッド曲の雪女を創った三人のインタビュー記事が目を引いた。・・・

USのプロデューサーTeamsと日本在住の写真家/ビートメイカーRepeat Pattern、北海道出身の女性アーティストNoahのコラボレーションによるコンセプト・アルバム『KWAIDAN』。本作は、1965年に公開された日本の映画『怪談』からインスピレーションを受けて制作されたものだという。3人のアーティストによる共同制作だからこそ生み出された、美しくも、まさに霊異な世界観が表現されている。

このアルバム「KWAIDAN」は、すなわち「怪談」を意味している。プレスリリースには、「古代から伝わる怪談を幽霊の物語としてではなく、サウンドトラックを持った普遍の物語/神話として捉え、身体のない人間と精神の対話をロマンチックに描く」とある。

インタビューの中で琴線にふれてくることがあった。

『怪談』は、映画を見て人を驚かすためのホラー映画ではなくて、もっと人間がどういう生き物なのか知るような、考えさせてくれるような映画です幽霊と人間との違いは、身体があるかないかというだけの違いなんですけど、生きている人間というのは、身体があるが故にいろいろと複雑なことを考えてしまいますでも幽霊は、自分がこうしたい、とか、これをわかってほしいとか、考えがシンプルだけど、それに関してはものすごく極端というところがあって幽霊と接する人間の様子から、普段はいろんなもので隠してる人間の本当の顔みたいなものを感じました。たまに垣間見る人の気持ちとか本性とか、その描写がまた神秘的で。そういうところを感じ取りながら歌詞を書いていきました。」

「この映画のストーリーは確かに怖いものではあるんですけど、このアルバムの曲はもっとオペラのような美しいものになっています。彼女(Noah)が書いたリリックは、主人公の幽霊に対する解釈でもあるんですが、なぜこの映画が美しいと感じるのか、その部分がどのように物語に関係しているのか、なぜそれが怖くないのか、そういったものが表現されているんです。それは、映画の幽霊と日本の文化を理解することだとも言えます。」

怪談は美しい。幽霊は日本の文化だ!!!  すごい言葉だなぁ~・・・

 

こりゃ、もう一度、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『怪談(Kwaidan)』を読み返さないといけないと感じた。先の引用文の続きを載せる。・・・

女は巳之吉にも息を吹きかけようと巳之吉に覆いかぶさるが、しばらく巳之吉を見つめた後、笑みを浮かべてこう囁く。「お前もあの老人(=茂作)のように殺してやろうと思ったが、お前はまだ若く美しいから、助けてやることにした。だが、お前は今夜のことを誰にも言ってはいけない。誰かに言ったら命はないと思え」そう言い残すと、女は戸も閉めず、吹雪の中に去っていった。

それから数年後、巳之吉は「お雪」と名乗る、雪のように白くほっそりとした美女と出逢う。二人は恋に落ちて結婚し、二人の間には子供が十人も生まれた。しかし、不思議なことに、お雪は十人の子供の母親になっても全く老いる様子がなく、巳之吉と初めて出逢った時と同じように若く美しいままであった。

ある夜、子供達を寝かしつけたお雪に、巳之吉が言った。「こうしてお前を見ていると、十八歳の頃にあった不思議な出来事を思い出す。あの日、お前にそっくりな美しい女に出逢ったんだ。恐ろしい出来事だったが、あれは夢だったのか、それとも雪女だったのか……」

巳之吉がそう言うと、お雪は突然立ち上り、叫んだ。「お前が見た雪女はこの私だ。あの時のことを誰かに言ったら殺すと、私はお前に言った。だが、ここで寝ている子供達のことを思えば、どうしてお前を殺すことができようか。この上は、せめて子供達を立派に育てておくれ。この先、お前が子供達を悲しませるようなことがあれば、その時こそ私はお前を殺しに来るから……」

そう言い終えると、お雪の体はみるみる溶けて白い霧になり、煙出しから消えていった。それきり、お雪の姿を見た者は無かった。・・・

 

まさしくこれは童話「鶴の恩返し」と同じストーリー展開だ。ここには普遍的な男と女の愛の物語がある。

ふと、私は別れた女房のことを思い出す。雪女のように色白で美しい女性だった。同じ郷土の秋田美人。いまさらながら私のような足の不自由な男のところによく嫁いできてくれ、かわいい三人の子宝を授けてくれたものだと感謝する。子供たち三人とも立派に社会人になってくれ、私はすでに孫三人のいるおじいさんになった。振り返れば、子供たちが立派に巣立った後の熟年離婚だったのがまだ救いだった。家庭を壊してしまったが、私は幸せな人生だったと思っている。

家庭を壊してしまったことが無念でもある。女房や子供たち、特に女房には心からすまないことをしたと思っている。私は死ぬまでこの大きな業を抱えて生きていくしかない。女房は雪女のように、私を殺さずに出ていってしまった。雪女は私にとって他人事ではない。

雪女に捨てられた男はこの先どう生きていけばいいのだろうか。今ではストリップで独り身の淋しさを紛らわせている。もしかしたら踊り子も雪女かもしれない。ふと、そう思う。いつまでも美しさを失わない。でも、ある日、突然に別れはやってくる。

 

雪女に秘められた「日本の美」を整理してみたくなる。

雪というものは真っ白で、溶けて消えていくもの。純白の美しさと儚さを合わせ持つ。それは真の美人に通じる。しがない男性と絶世の美女がいつまでも幸せでいられるはずがない。そこには無理に組み合わされた儚さ・脆さ、人生の不安定感が生ずる。そして男女の別れは突然にやってくる。美人薄明とは云うが、美人は男より早く死ぬことになる。死をもって別れとするのは面白くないので、昔の人は物語展開として「鶴の恩返し」や「雪女」に仕立てたのだと思う。

夫婦の間でも、言わなくてもいいことをつい口に出してしまったり、時に嘘をついてしまったり、いろんなことが起こる。「鶴の恩返し」や「雪女」はそうした戒めの話である。ストリップにはまり、どうしても劇場に行きたいものだから、「今日は残業だ」「忙しいから休日出勤だ」「今日は付き合いゴルフだ」と小さい嘘を重ねてしまう。それらが、一番大切な人を裏切ってしまう。「ストリップは単なる遊びだ」と言い訳しても、妻は聞く耳がなくなる。そして、去っていく。現代版の「雪女」みたいなものだ。

今にして思えば、妻は雪女のように綺麗だった。「美人薄明なんだから」というのが妻の口癖であったが実際は長生きしている(笑)。でも確かに老けなかった。そう思えた。夫婦は一緒に歳を重ねているせいか、いつも出会った時のまま。踊り子と客というのも同じで、いつも出会ったときのままなのである。男の心の中では踊り子は老けない。みんなが雪女の素養を持っている。

NHKのTVでやっていたが、日本の豪雪は世界の奇跡なのだそうだ。地球規模で日本と同じ緯度のところは乾燥地帯になり砂漠が多い。ところが日本には多くの雨が降り、森が多い。アマゾン並みに樹木が茂る。その雨は日本海側では雪になる。雨が多い原因は、黒潮が雲(水蒸気)を運んでくるから。たしかに台風の進路もそうなっているね。TVでは黒潮はマントルの影響により生じたと詳しく解説していたが、ここでは割愛する。

ともあれ、豊かな雨によりできた豊かな森で、厳しい雪の中、雪女という話は日本の風土としてできあがった。まさしく日本人の精神構造に深く根ざしている。

 

雪女というのは、常に「死」を表す白装束を身にまとい、男に冷たい息を吹きかけて凍死させたり、男の精を吸いつくして殺すものである。まさに「雪の妖怪」である。

しかし、雪女の妻は私を殺さずに別れて行った。雪女である踊り子たちも私を殺さずに相手をしてくれる。

生き残った私にも、これから先なにか生きる道があるのだろうと思える。

たくさんのミュージシャンが雪女の音楽を奏でているのと同じように、私も表現者の一人として雪女の童話を書いてみたくなる。もしかしたら、踊り子JUNさんは、今の私の気持ちを童話にしてみたらと背中を押してくれているようにも思える。JUNさんも雪女であり私のストリップの女房である。そう思いつつ、この観劇レポートをまとめている。

 

JUNさんの作品「雪女」は、前にあった「百鬼夜行」から続く妖怪もの。

最近、私は映画をよく観る。年間200本以上観ている。ストリップと同じく、完全に趣味化した。たくさん観るので、以前は避けていたホラー映画まで観るようになった。(笑)

ホラー映画を単に怖いものとして捉えるのではなく、人間のもつ奥深い情念の表現として捉えると面白い。そこには愛があり葛藤があり、人生の機微がある。だからこそ、その霊異な世界観を表現したホラー映画には味がある。

また今回、雪女という怪談に触れ、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『怪談(Kwaidan)』を読み返すと、そこには日本人独特の精神文化がある。

表現者であれば、怪談などのホラーを避けては通れない気がしている。

 

 

2020年1月                           ライブシアター栗橋にて