JUNさん(西川口所属)について、H31年3月中の渋谷道頓堀劇場での公演模様を、演目「舞踏会」を題材にして、「花火のような人生」という題名で語りたい。

 

 

 

 

帰宅してすぐにネットで芥川龍之介の小説「舞踏会」を検索し読みました。短編なので10分くらいで一気に読み切れた。JUNさんから「鹿鳴館の時代を演目にしたくて、芥川龍之介の作品にたどりつきました。何度読んでも、とても不思議な世界だと思いました。」「主人公の明子は、初めての舞踏会に行くドキドキからはじけるようなロマンス。老人になるまでの間は、私の勝手な解釈ですが、きっと、ずっとその人の事を想い続けたのではないかなと私は思って、立ち上りまで考えました!!」とコメントを頂いていた。私は初めて、JUNさんがステージで演じようとしたものが見えてきて嬉しかった。

 

感想は後にして、さっそくJUNさんのステージ模様を私なりに紹介したい。

最初に、明治時代の女性の振袖着物姿のイメージで登場。右半分がピンク色、左半分が花柄模様の衣装。足元は二層のピンク地。帯を締める。髪には赤とピンクの花飾り。

音楽に合わせて、白い花をもって踊る。この白い花は、小説に出てくる舞踏会を飾っている菊の花だ。細かい演出が嬉しい。

一曲目は、ALI PROJECTの『鹿鳴館ブギウギ』。生ジャズ風。まさしく演目名「舞踏会」に相応しい曲だ。

音楽が変わり、着物を脱いでいく。ピンクの上下セパレート衣装。ブラとミニスカートに、白と黒の玉のフレンジが垂れる。

二曲目は、GARNiDELiAの「響喜乱舞」。これも斬新な曲だ。

芥川龍之介の作品にしては随分斬新な二曲が続いたものだ。(笑)

 ここで暗転して音楽が変わる。

 今度は、舞踏会らしいダンスミュージックが流れる。「美しき青きドナウ」だ。この曲は小説の中でも登場するので嬉しくなる。

 衣装を着替える。

 ピンクと黒のコントラストの着物姿。右側は黒、左側はピンク、黒い帯を締め、足元は花の刺繍入りの薄い黒地。

 音楽が変わる。また、ALI PROJECTのインスト曲「この國よ静かに目覚めたまえ」。  楽曲の中に「君が代」のフレーズが取り入れられている。このへんは芥川の小説の厳かな世界を反映している。

 ここで全裸になり、そのまま菊の花を持って、ベッドショーへ。

 近くに来たのでアクセサリーを目で追う。純金のネックレス。左手首に純金のブレスレット二本。左足首に純金のブレスレット。

 立ち上がり曲は華やかでノリノリになる。chay feat. Crystal Kayの「あなたの知らない私たち」。

盆を回りながら、盆周りのお客の鼻先に菊の花を近づけて驚かせる。お茶目なJUNさんが楽しい。

 

 改めて、JUNさんは本物の表現者なのだと感じた。アフリカ三部作にとどまらず、次から次へと興味が湧き、その自分の中にあるものを全て表現せずにはをれないのだ。

 そして、この作品「舞踏会」、そして主人公である明子に、JUNさんを重ねてみると、なんとなく分かるものがある。

 この小説の主題は‘花火’にある。いみじくもフランス人の海軍将校が言った「私は花火の事を考えていたのです。我々の生(ヴイ)のような花火の事を」という言葉に凝縮されている。

 花火は美しいが一瞬にして消える。舞踏会の場でみんなの気を引いた明子の美しさも、花火と同じように一瞬にして消えていく。小説の最後の最後に、まるで付け足しのように、老婦人になった明子が登場するのは、華やかだった明子も平凡な老婦人になってしまったことを暗示している。それほどに人生とは花火のように儚いものなのだ。

 しかし、人生は短くも、いや短いからこそ、花火のように美しい時期が必ずあると信じたい。

 JUNさんは平凡なOLから、一大決心してストリップの世界に身を投じた。そして、今、5周年を前にして大輪の花を咲かせている。踊り子というのは仕事柄それほど長く続けていけるものではないだろう。しかし短いながらも花火のように美しく輝けることを、今のJUNさんは実感し、証明しているのだと思う。

 ラストの曲「あなたの知らない私たち」は、まるで花火のように華やかに聴こえてくる。

 

 

平成31年3月                           渋谷道劇にて

 

 

【参考】芥川龍之介の作品「舞踏会」

簡単にあらすじを紹介します。Wikipediaより抜粋

 

第一部

1886年(明治19年)11月3日の夜、明子は父と共に、菊の花で飾られた鹿鳴館の舞踏会へ赴いた。初々しい薔薇色の舞踏服の美しい明子に人々は驚かされた。ある仏蘭西人の海軍将校が明子に踊りを申し込み、2人はワルツを踊った。踊りの後、明子が「西洋の女の方は本当に御美しうございます」と言うと、将校は首を振り、「日本の女の方も美しいです、特にあなたは」と褒め、明子を「ワットオの絵の中のお姫様のようだ」と讃美した。そして、「パリの舞踏会を見てみたい」と言う明子に、将校は、「パリの舞踏会も全くこれと同じ事です」と言い、「パリばかりではありません。舞踏会は何処でも同じ事です」と半ば独り言のようにつけ加えた。

明子と将校は、星月夜の露台に腕を組んだまま佇んだ。夜空を黙って見る将校に明子は、「お国のことを思っているのでしょう」と訊ねてみた。彼は首を振り、「私は花火の事を考えていたのです。我々の生(ヴイ)のような花火の事を」と優しく明子の顔を見下しながら言った。

 

第二部

1918年(大正7年)の秋、老夫人となった明子は、鎌倉の別荘へ赴く列車で乗り合わせた青年小説家が菊の花束を持っていたことから、菊の花を見るたびに思い出す舞踏会の話を彼に語った。青年作家は、その仏蘭西人将校の名前がJulien Viaudだと聞き、「あの『お菊夫人』を書いたピエール・ロティだったのでございますね」と興奮ぎみに問い返したが、将校の筆名を知らない夫人は、「いえ、ジュリアン・ヴイオと仰有る方でございますよ」と不思議そうに答えた。

 

 

芥川が『一』で表現したかった事は「私は花火の事を考えていたのです。我々の生(ヴィ)のような花火の事を。」です。

『二』では、華やかで美しい明子とて、結局はジュリアン・ヴィオ=ピエル・ロティという事も知らない平凡なH老婦人に終わりました。美しさが一瞬だけで消える花火を、華やかな明子もいずれは平凡なH老婦人で終わる事を示して具体的に現わしたのでした。

 

★なぜ第2章が書き加えられたのか

「一」で書かれた花火の一瞬だけの輝きを、明子の生涯で具体的に示したのです。

 

★我々の生のような花火とはどういうことか

花火も、人間の人生も同じく、一瞬輝いてすぐ終わるという事です。

 

★花火がなんの比喩か

花火=人生です。

 

★将校が人生をどういう風に捉えているのか

人生は華やかでもすぐに終わる。フランスでも、日本でも、そしてどこでも、いつでもという様な「虚無的なもの」こそが、人生であると考えていました。

文明開化で浮かれる日本とて、いずれはフランスみたいになるという警句をも発していたのです。

 

★舞踏会と花火と明子の共通点

「すぐ消える運命の、一時的な華やかなもの」が、共通点です。