浅葱アゲハさんについて、令和2(2020)年1月頭の渋谷道劇の公演模様を、演目「銀の龍」を題材に語ります。

 

 

 

新年早々の新作は演目名「銀の龍」。アゲハ新聞には「今年は辰年だっけ?という感じの新作ですが2020の平和を願って作りました」とある。私のポラコメにも「Kuuちゃんから頂いた銀の龍を自分なりにアレンジしました。2曲目の『カリソメ乙女』と4曲目の『銀の龍の背に乗って』が元々の出し物に入っていた曲です。直接的じゃないけど、争いのない年になりますようにと思って作ったよー。」とあった。

干支がどうのという前に、私には「銀の龍」の作品を観たとき、「ゴジラ」の次に「銀の龍」というのがとても腑に落ちるものがあった。というのは、前回作「ゴジラ」の観劇レポートを書いた後に、作品「ゴジラ」のベースになっていた映画『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』をビデオで観た。その中に登場するキングギドラは三つの首を持つ金の龍であり、この映画では人間の敵側になる。それに対して、ゴジラが人間の味方側としてキングギドラに対抗する。ゴジラには銀色に光る背びれが付いている。つまりゴジラこそ銀の龍なのである。だから「ゴジラ」の次に「銀の龍」という作品が来ることに凄く納得した。

ただ、本作「銀の龍」はお正月作品でもあり、着物姿で踊る和物のイメージにまとめている。だから前回作「ゴジラ」のようなモンスターものではない。でも私はモンスターものを拝見したかのように興奮した。その勢いでもって観劇レポートに向き合った。かなり気合が入っている。(笑)

龍のことをいろいろ調べているうちに、大好きなジブリ作品と龍との関係について言及したくなる。そうすると観劇レポートとしては内容が膨大になり過ぎてまとまらなくなってきた。ジブリと龍については別のレポートとする。ただ、童話だけは先行して出来上がった。アゲハさんから「スケールの大きな内容でびっくりしました☆」と言ってもらえ、私自身書いた甲斐があったと嬉しくなる。

 

さて、まずは、ステージの作品内容からおさらいする。

華やかな花飾りを頭に付け、銀の振袖を羽織る。緊迫感のある音楽に合わせ裸足で踊る。

一曲目は澤野弘之のインスト曲「DRAGON RISES」。「医龍 Team Medical Dragon 2」 オリジナルサウンドトラック収録。「医龍パート1で作った『RED DRAGON』のような緊迫系の曲をより追求したいという思いで作りました。テーマとして作った曲ではなかったのですが、結果的に医龍2のテーマ的役割になっていた気がします。」との澤野弘之の弁。

私はこの曲を聴いたとき、前作「ゴジラ」の選曲を思い出したほど。よくサウンドのイメージが似ているよね。この選曲にもアゲハさんらしさが出ているね。この曲に合わせて着物姿で踊るのだから、一気にkuuさんの作品を凌駕しているね。

音楽が変わり、銀の羽織りを脱ぐ。下には、赤地に白と緑の花柄がブリントされた着物。帯が華やかで、金の帯を銀の紐で結び、その上に赤い花飾りを付ける。音楽に合わせ裸足で踊る。

二曲目は、椎名林檎の『カリソメ乙女』。映画『さくらん』(2007年2月公開)主題歌。

勢いのあるジャズサウンドだ。

 ここで音楽が変わり、着替える。

 赤い襦袢姿になって、ティシューの白い布に絡んでいく。ここからは、まさしくアゲハオリジナルとなっていく。次からの二曲が圧巻である。この音楽をバックにして鮮やかなティシュー演技が繰り広げられる。

 三曲目は、岡崎体育の「龍」。作詞作曲:岡崎体育。

 聴いたことのない曲、聞いたことのないミュージシャン。フォークソングのように、ゆっくりと歌い込む。珠玉のメロディと歌詞がしっかりと耳に刻まれる。この歌詞は深いなと思えた。

 彼の経歴を読んでいて次の箇所に目が留まる。2012年に同志社大学を卒業後、一度は一般企業へ就職するも音楽への夢を諦められず退職。音楽ソロプロジェクト「岡崎体育」を開始した。地元のスーパーマーケットでアルバイトをしながら、自主制作でのCDリリース、ライブやフェスへの出演といった音楽活動をしていた。<母子家庭で育つ。また一人っ子であることから、親からは「堅い仕事に就いてほしい。4年やってメジャーデビューできなかったらあきらめろ」と言われていた。そのためインディーズ時代から「27歳の夏までにメジャーデビューします」と言い続けており、2016年5月(26歳10ヶ月)にその目標を達成した。

「龍」の歌詞のなかで、「部屋の灯りを消して 夜は龍になって 星の透き間を泳いで 誰も知らない唄をつくろう」とある。必死で歌作りに励む彼の姿が目に浮かぶ。その姿はまさしく‘銀の龍’なのだと思う。それは、童話を書き続ける今の自分の姿に重なる。

 そして、ラスト曲は、中島みゆきの名曲「銀の龍の背に乗って」。作詞・作曲:中島みゆき/編曲:瀬尾一三。2003年7月23日に発売された中島みゆきの38作目のシングル。ドラマ『Dr.コトー診療所』(第1、第2シリーズ、フジテレビ系)の主題歌。

 この歌詞の中で、銀の龍は「非力」と言っている。銀の龍は「弱さ」の象徴なのだ。

 このまま、解説を進めようと思いつつ、私はそれを全て飲み込んだ童話「銀の龍に乗って」を書いていた。この童話に中島みゆきの名曲「銀の龍の背に乗って」を詰め込んだ。

 

 

2020年1月                          渋谷道頓堀劇場にて

2020年2月                                                  池袋ミカド劇場にて

 

 

 

2020.2

ストリップ童話『銀の龍に乗って』 

~浅葱アゲハさんの演目「銀の龍」を記念して~

 

 

 

 龍は宇宙からやってきた。正確にいえば、龍は宇宙を起源にするが地球という惑星で進化した生物である。

 その経緯を説明しよう。

 最初に、太陽系に地球という惑星が誕生したとき、地球の周りにはガス状になった宇宙の藻屑がたくさん浮遊していた。その中に生命体がいた。それらが長い年月をかけて進化していき、最終的に龍の形になっていった。

 大昔の地球は全てが海でおおわれていて、陸地がなかった。そのため、飛ぶことのできた龍は雲の上を住処とした。たくさんの龍たちが、地球を所狭しと生存しており、現人類のはるか昔に文明と呼べるものがすでに雲の上にあったのだ。

 龍の使命は地球を護ること。いずれ雲の下にある地上が進化していき新しい文明を築くまでは、龍こそがこの地球の護り神として君臨したのだ。

 地球は水の惑星。地球が惑星として進化していくためには適正な水の循環が起こらないといけない。龍はお互いの硬い皮膚を擦り合わせることで電流を起こし、雷を作ることができた。その雷こそが、雲の成分を刺激して、地上に雨を降らせる源になる。人間が龍を水神として祭るのはそのためである。

 

 さて、龍の世界について少し触れます。

 龍の皮膚は鋼鉄のように黒ずんでいました。たくさんの龍がいましたが、雲の間から龍が姿を現しても、それを下から見上げれば漆黒の宇宙に紛れ込んで姿が隠れてしまいます。そして、その皮膚はお互いの身体に触れて電流を起こすくらいだから鋼鉄のように硬いのです。そのため龍は一般には「鉄の龍」と呼ばれていました。

 ところが、龍の中に、ごく一部だけ自ら皮膚を輝かせられる龍がいました。それは龍の中から突然変異として誕生しました。一般の「鉄の龍」に対して「金の龍」と「銀の龍」と呼ばれます。

金の龍は、黄金色の皮膚をもっており、稀にしか生まれません。金の龍は太陽の化身と位置づけられました。龍の世界の中では、金の龍は別格でした。才能もあり、高貴であり、豊かである偉大な存在と讃えられました。ただ性格は傲慢で派手好みです。

 それと対極に考えられたのが「銀の龍」で、ごく少数いました。彼らは月の化身と位置づけられました。純粋で知的なのですが、悪くいえば影を好む暗さを持っていました。

金の龍はまさしく‘俺は俺は’というタイプで、鉄の龍たちを抑え込み従わせようとしました。一方の銀の龍は、自分は太陽にはなれない月だから二番手でいいという控えめさがあり、鉄の龍たちとの協調性をもっていました。

 金の龍は「強さ」の象徴であり、銀の龍は「弱さ」の象徴のように思われていました。

 

 とてつもなく長い時間が過ぎていきました。

 龍の世界は地球では手狭になっていきました。龍自身が大きいうえに、数が膨大に増え過ぎました。また一方、知性を持っているがゆえに、雲の上の生活に退屈さを感じていたのです。龍は大きな身体と知性を持て余していました。

 いつしか、地球の表面では海の間に陸ができ、そこに生物が生息するようになります。そして、人間がその生物の頂点として繁栄を極めていきました。

 雲の上から地上の様子を眺めていた龍たちは、地上に憧れました。なにせ、天空は雲しかないのでつまらないのです。楽しみといえば太陽と月が決まった周期で変化するくらいかな。その点、なにやら人間界は毎日が変化に富み楽しそうでした。龍はいっそのこと人間になって地上で生活することを考えました。

 龍は天空の神さまですから人間に変身することはお茶の子さいさいです。

 しかし、龍の世界では簡単に人間になることは許されませんでした。地球を護ることを至上命題とする龍にとって、地上に君臨する人間界をむやみに混乱させることはできません。そこで、龍たちが人間になるための、厳しい「登竜門」がありました。

 金の龍と銀の龍は選ばれし龍として優先的に人間界に下ろされました。そして人間として生まれ変わりました。

 金の龍が天から降りるとき、人間界では「麒麟が現れた」と噂されました。彼らはもともと金の龍が持っている資質を活かし、歴史に名を残す偉大な人物になりました。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など天下人と呼ばれる戦国武将たちは金の龍が降臨したものです。最近では三日天下の明智光秀も「麒麟がくる」なんて呼ばれているようですね。

 一方の銀の龍は「弱さ」を知っていました。しかし自分の弱さを知っている人ほど本当は強いのです。彼らは弱い民衆を助けたいと願い、聖職者や医者になることを選びました。教会で使われる宗教の道具が全て銀製なのはそのせいです。また神社仏閣の柱や欄間に施される宮彫りに龍が描かれます。医者を象徴する手術用メスも銀製ですね。最近では一部の人間界に医龍ブームというのがあるようです。

 銀というは「純粋」「無垢」「神聖」を意味します。

 

 金の龍や銀の龍の活躍を契機にして、鉄の龍たちも次々と人間界に降りていきました。こうして人間と龍は一体になっていきました。いまでは人間は自分の中に龍が入っていることを忘れてしまっているようです。

 しかし、よくよく目を凝らして人間を観察すると、銀の龍が現れることがあります。

 最近目についた例を紹介しましょう。

 

 ある銀の龍は、一人の医師になりました。名前をコト―と言います。

 彼は、身体も軟弱で気弱な男でした。しかし、病気や怪我で困っている人を助けようと、医者になることを志し猛勉強しました。見事に医学部を卒業し、医師になってからは、誰も行こうとしない南海の離島に単身で乗り込みました。実際は船酔いに耐えながら、へろへろの態(てい)でやってきました。それでも彼は人助けに情熱を燃やします。コト―診療所を開業し診察を始めます。

 ところが、着任初日、診療所を訪れた患者はゼロ。看護婦は「この島の人達は、本当に具合が悪かったら、本土の病院に船で6時間かけて行くんです。誰もこんなとこで診てもらいたくないですからね」と言う。なんだか気が抜けてしまったコト―だった。

たしかに最初のうちは未熟な腕で悪戦苦闘もしましたが、次第に彼の努力は報われ、離島の人々からも信頼され始めます。彼はたくさんの人々を救い、島民から慕われました。弱い男が「銀の龍の背に乗って」逞しい男になった一例です。

 

 もう一人、紹介したい例があります。

 ある銀の龍はストリッパーになりました。名前をアゲハッチョと言います。

 彼女も決して強い人間ではありませんでした。でも心根が優しく、女性に縁のない恵まれない男達を自分の美しい裸体で癒してあげようと考えました。ところがストリップの世界もただ裸を見せればいいという、そんな生易しいものではありません。デビュー当時は、とにかく上手く踊れなくて何度も泣きました。

アゲハッチョはたまたま空中ショーと出会い、その華麗な世界に魅了されました。必死で練習しました。努力の甲斐があり、めきめきと上達し、空中ショーのできるアゲハッチョはストリップ界の第一人者になりました。彼女の演技は、まるで龍が空中で舞い上がるようでした。当然ですね、もともと龍なのですから。

 

 龍は人間界にうまく溶け込んでいます。誰にもわかりません。本人も元々自分が龍であったことを忘れています。

 しかし、ふとした瞬間に龍の力が蘇ることがあります。アゲハッチョはそれを体現している一人なのです。

 

                                    おしまい