今回は、H30年3月頭の大阪東洋ショー劇場における、前田ののさん(ロック所属)について、演目「のの雪」を題材にして、「アナ雪とストリップ」という題名で語りたい。
今回の作品は大ヒット映画「アナと雪の女王」(略称: アナ雪)をモチーフとしており、演目名を「のの雪」としているのがシャレている。
今回の作品の観劇レポートを書くに当たり、ネット等でいろいろ調べているうちに、私自身がこの映画に嵌り、すぐさまTSUTAYAからレンタルして観た。私は最近もっぱらストリップ観劇ばかりで映画を全く観ない。ステージで興味をもった映画だけ拝見している。これだけ話題になった映画を今頃観るというのも恥ずかしい限りであるが、この映画を拝見して本当に良かった。ものすごく色々と考えさせられた。ネットで片っ端から映画解説や評伝などを読み漁った。これまでの私のレポートでは内容を分かりやすくするため、映画のあらすじを始めとした参考文献を巻末に参考と称して載せていたが、それらを整理するだけでかなりのレポート枚数になるため、今回はステージ感想に関するものだけに限定して記載することにした。だから映画を観ていることを前提としたレポートになっているので、このレポートを読む人は事前に映画を観て頂きたい。映画の紹介を割愛したにもかかわらず、今までで一番長い大作レポートになった。
さて、これから観劇レポートの本題に入る。冒頭で述べたように、たくさんの映画解説を踏まえた上で、私なりの観点からポイントを絞って話したい。
まず、この映画「アナと雪の女王」が他のディズニー映画とどこが違うかを述べてみたい。極めて特徴的な点が三つある。
1. ダブル・ヒロインであること
これまでのディズニー映画ではヒロインは一人だったが、今回はアナとエルサという二人の姉妹がヒロインとなっている。
この二人は性格がかなり違う。
アナ、18歳。明るく積極的な性格で、王家の者とは思えないほどくだけた口調で話したり、意外に腕っぷしが強かったりと男勝りな面もあるが、パーティーの日には運命の人との出会いを妄想するなど、年頃らしく恋に憧れる18歳の少女である。ただ思い込みが少々激しく勢い任せなところがあり、ハンス王子との結婚を出会ったその日に1曲歌って即効で決めた。
自由奔放なじゃじゃ馬タイプ。わがままで感情のまま行動する。私が私がという自己主張の強い性格。特別な才能を持たない普通の女性。
エルサ、21歳(ディズニー初の20代ヒロイン)。おしとやかな深窓の令嬢タイプ。真面目でクールだが、優雅で心優しい性格。思慮深く、相手のことを優先する控えめな性格。全ての物を凍らせるという特別な魔法を使える「雪の女王」。
こう並べてみると、全く対照的と言ってもいいかもしれない。
この点について、おたくという語の生みの親であるコラムニストの中森明夫氏は面白い解説をしている。「エルサとアナっていうのは、実は一人の女性の中にある二つの人格。二つの生き方だと思ったんですよ。」二人でもって一人の女性を示している。つまり、本来は一人の女性がアナとエルサの両方の性格を合わせ持ち、たまたまどちらかを強く表に出しているかの違いだと言う。面白い観方であり、極めて心理学的な分析である。
彼は次のようにアナ雪を言い切っている。「アナとエルサが姉妹ではなくて、一人の女性の中にある二つの人格だった。あらゆる女性は雪の女王(才能)を閉じ込めながら、アナ(平凡な女性)として生きている。この映画は雪の女王(才能)を開放する映画だ。」(括弧は私が分かりやすくするため挿入した)、と。
2. 王子が悪役(ヴィラン)であること
これまでのディズニー映画では、悪役というのは明確であった。ヒロインに敵対する悪魔などがいて、王子様がヒロインを助けるというストーリーである。ところが、今回のハンス王子は途中まではまさしく理想的な王子様を演じ、最後の最後に手の平を返すように悪役に転ずる。こんなストーリー展開はいままでのディズニーには例を見ない。
そういう意味では、今回のアナ雪は王子否定論、ヒーロー不要論となる。主題歌「Let It Go」(ありのままで)が示すように、エルザが魔法を伸び伸びと操り雪の女王として君臨できたように、女性は自分の才能で生きていけばよく、王子なんかの男性に頼る必要はないと言い切っているのかもしれない。
このことは現代風潮を色濃く反映している。女性は仕事をもち強くなった。一人で生きていけるから男性なんかに頼らなくてもいい。
今回のアナ雪はディズニー長編映画初の女性監督。正確に言うと、当初からアナ雪の構想を持っていたクリス・バックという男性が監督だったが、途中から脚本を担当していたジェニファー・リーが共同監督になる。つまり、当初あった原作は途中から、彼女の意向が強く反映されるストーリー展開に大きく書き直されたのだ。
彼女の生い立ちと私生活を見るとよく理解できる。ジェニファー・ミシェル・リー(Jennifer Michelle Lee, 1971年- 現在47歳位)は、ロードアイランド州イーストプロビデンスで生まれ育つ。ニュー・ハンプシャー大学の英語科を卒業し、出版界でグラフィック・アーティストとして働くためにニューヨークへ移る。1999年に28歳でロバート・ジョセフ・モンと結婚するが、後に離婚した。2003年に娘のアガサ・リー・モンが生まれる。30歳の頃、コロンビア大学芸術学部に入り、美術修士号を取得した。そこで彼女は後に映画『シュガー・ラッシュ』で共同脚本を務めるフィル・ジョンソンと出会う。この映画の成功が今回のアナ雪の脚本担当に繋がる。彼女は才能溢れる、男性には頼らなくても生きていける、とても強い女性なのだと感じさせる。それがエルサのキャラクターに強く反映されている。娘のアガサ・リー・モンは若くして、映画『アナと雪の女王』で「Do You Want to Build a Snowman?」を歌っている。彼女のしたたかさを感じる一面でもある。
彼女の生き方・信念が本映画のエルサに強く反映している。
3. 「真実の愛」が男女の愛でないこと
これまでのディズニー映画は、王子様とヒロインの恋愛そして結婚こそが「真実の愛」として語られてきた。ところがアナ雪では違う。最後の場面で、アナはオラフの助言でクリストフの愛に気付き、クリストフの名前を叫びながら探そうとする。激しい嵐の中なかなかクリストフが見つからない。漸くクリストフの姿を見つけて駆け寄ろうとする。ところが今にも殺されそうになっているエルサを見つけた瞬間に、クリストフのことは放って、エルサの元に駆け寄り、身代わりとなり刀で切り付けられる。結局、クリストフのことは無視して、エルサとの姉妹愛を優先させたわけだ。
この映画における「真実の愛」とは男女の恋愛ではなく「家族愛」のこと。この点が従来のディズニー映画と根本的に違うところで、一部には「この映画は女性が男より女を選ぶという同性愛まで認めることに繋がる。幼い子供たちが男女の恋愛に憧れを抱かなくなることは危険思想だ。」と批判的な意見まで飛び出している。
いずれにせよ、これも女性監督ジェニファー・リーの考え方が強く反映したものだろう。
ネットのWikipediaを参照すると <作品のメッセージとして、監督のクリス・バックは、「家族の強さ」であり、すなわち、エルサとアナの「姉妹の絆」であるとしている。また、共同監督で脚本を担当したジェニファー・リーは、「『恐れ』対『愛』」が本作の大きなテーマであると述べている。> と、両監督がそれぞれ違うことを言っているのが面白い。男性監督クリス・バックは単に家族愛と言っているのに対し、女性監督ジェニファー・リーは、「『恐れ』対『愛』」と言う。恐れとは雪と氷、そして全てを凍らせる魔法であり、その魔法を制御できるのは「真実の愛」であることを知り、アナは自分の胸に刺さった氷を溶かし、かつアレンデール王国に夏と平和を取り戻した。この映画は、そうしたアナの壮大な成長過程を描いている。
以上の特異点を踏まえて、「アナ雪とストリップ」について、以下に私の独断論を展開する。
1. 「アナと雪の女王」はアナの物語だ!
私は最初に、邦題名の「アナと雪の女王」というのが気になった。ストリップファンなので、アナという言葉に敏感に反応したのかな(笑)。私なら「雪の女王のアナ(お尻好きな人にはアナルでもいい)」という題名にしちゃうかも(笑)。おっと、冗談はさておき・・
この映画『アナと雪の女王』の原題は『FROZEN』。“frozen”という単語には「凍った」「氷結した」「極寒の」「冷ややかな」という意味がある。
原題の『FROZEN』から『アナと雪の女王』に至るには、担当者のセンスが少なからず要求されたはずだ。(ちなみに、『アナ(Ana)』は『アン(Ann)/英語』のスペイン語読みでもあるそうだ。)
ネットに、宣伝プロデューサー廣村織香さん(ウォルト・ディズニー・ジャパン)の記事が掲載されていた。要約すると次の二点。「今回の作品は、ディズニー・アニメーションで初の、アナとエルサという“ダブルヒロイン”。その2人のキャラクターを伝えることができるタイトルにしたい。」そして「今回の作品は、アンデルセンの『雪の女王(The Snow Queen)』に着想を得て制作された作品です。ストーリー自体は、アンデルセンのものとは全く異なりますが、それでも、アンデルセンの作品を知っている人にも、興味を持ってもらえばということで“雪の女王”の言葉は残しました。」
この結果、ダブルヒロインと言いながらもアナとエルサを同等に併記することなく、エルサは雪の女王にすり替えて表記したことになる。
そもそも、ダブルヒロインなのかなぁ~と疑問が湧く。私には、この映画はアナの成長がメインストーリーであって、先ほどのようにエルサを雪の女王とすり替えるくらいだから、エルサは主人公アナの成長をもたらすきっかけを作るところの魔法を使う脇役ではないかと感じた。たまたま、この映画の主題歌「Let It Go」があまりにも出来が良く、興行的にこの歌を売りにしたかったから、エルサも併せて主人公にしたんじゃないのかな。
アナは、落ち着いた大人っぽいエルサに比べて、すごく子供っぽく、いつも自分勝手な行動をしがちなオテンバ娘。それが、仲良しの姉との隔離、両親の死、生涯を誓い合ったハンス王子の裏切りとクリストフの素朴で純粋な愛、命がけの冒険、そして真実の愛。こうした様々な体験を通して素敵なレディへと成長していく過程をドラマ仕立てしたのがこの映画の本質なのではないかと思える。
ののさんが今回の演目のテーマとして、アナを演じているのは大正解である。
2. オラフは、アナとエルサの化身
この映画において、オラフという雪だるまのキャラクターは極めて重要な役割を演じている。(ちなみにオラフという名前はダジャレから生まれた。英語の「Oh!Laugh」、「あぁ、おかしい」をそのまま名前にしてしまったのだそうです。)
映画の最初で、アナとエルサが雪だるまを作る。二人で仲良く遊んだ思い出の象徴として「雪だるま」という存在がある。全編を通じて「雪だるま作ろう」という曲のメロディが奏でられている。それがこの映画をほんわかしたものにしている。演目「のの雪」はこのポイントをよく掴んでいるね(すごく感心した!)。
エルサは城を出て、最初に使った魔法が雪だるまを作ったことだった。それも無意識のうちに作った。それがオラフであった。
オラフはユニークさが前面に出て、それだけが目立っているが、実は愛の化身である。姉エルサが妹アナを想う姉妹愛のシンボルであり、愛の真実を知っている。クリストフの愛をアナに気付かせたり、名言「愛とは自分のことよりも相手のことを考えることだ」と教える。オラフは、この映画『アナと雪の女王』のテーマである「真実の愛(true love)」のメタファー(暗喩)なのです。
最後の場面で、寒さで凍えそうになっているアナに寄り添い、暖炉の火で溶けそうになってもアナの側を離れようとしなかった。「アナのためなら、溶けてもいいよ」と言い放ったオラフはかっこいい。彼は自己犠牲の塊でもある。私にはオラフという名前が「おらぁ歩なんだ」と聞こえてくる。将棋の歩、つまり捨て駒でもあり、また将棋において最も大切な駒だ。
オラフの口癖「ぎゅーっとして!」は、本来なら雪だるまを抱きしめたら溶けてしまう。それは魔法の力を恐れずにエルサと接していたころのアナを映している。「ぎゅーっとして!」という言葉に「大好きだよ」といって抱きしめていた姉妹の愛情が凝縮されている。
オラフが冬を象徴する雪だるまであるにもかかわらず、夏に憧れているという事が面白い。まさしく、寒い冬をイメージさせるエルサに対して、暑い夏をイメージさせるのがアナ。この二人は中身が全く違うにもかかわらず、お互いを求め合っていた。私の敬愛する歌手で、大学の先輩でもある小田和正さんはオフコース時代に名曲「夏の終わり」を作る。「夏は冬に憧れて 冬は夏に帰りたい あの頃のこと今では すてきにみえる」という歌い出しは、まるでアナとエルサのことを歌っているかのようだ。
3. 「真実の愛」は、ストリップにおける見守る愛に通じる!
エルサは触れるもの全てを凍らせてしまうという禁断の力を持ったがために、最も愛していた妹のアナから遠ざかることを選択せざるをえなくなった。本当は愛する妹と仲良く遊びたかったし、ぎゅっと抱きしめたかった。それなのに、愛する者のために、部屋に閉じこもり、最後は城から出て山奥に籠ることになる。愛する者のために距離を置くという考え方は、まさしくストリップに通じる。私は以前から「踊り子と客の距離感はとても大事だ」と繰り返し説いている。
ストリップというのは他の風俗と違い、踊り子さんに触れることができません。ただ観るだけです。従って、踊り子さんを愛する仕方としては、目で愛する方法しかありません。好きな踊り子さんに会いたくて劇場に足を運び、ステージを通じて応援する。それは好きな人を「見守る愛」です。ふつう好きな異性ができると自分のものにしたくなりますが、踊り子さんはみんなのものですから、自分だけのものにはできません。そのため、好きな踊り子さんが気持ちよく踊れるように、ひたすら見守ってあげようという気持ちです。これはストリップにしかない、愛のひとつの形です。
本当に純粋な愛とは本来プラトニックなものだと思います。私は妻を愛し、直接的にSEXもし子供も生まれ、これはこれで大きな愛ではあります。しかし、誰の胸の内にもあると思いますが、実らなかった初恋やSEXに至らなかった恋愛の中に本当に崇高な愛を見ているのではないでしょうか。昔の文学者の中には異性との手紙のやりとりの中に本当の愛があったと懐古している人もいるくらいです。私が手紙を大切にしているのはそのためです。
見守る愛とは、極めてプラトニックなもの。リボンさんがひたすらお気に入りの踊り子さんのためにリボンを巻き、そして投げる。この中にも無償の愛があります。リボンさんの中には俺が俺がという方がいますが、残念なことに我が入ってきた瞬間にそれは純粋な愛ではなくなります。
さきほど、ストリップは触れられない愛だと言いました。しかし、好きな踊り子さんを見ていると、正直に言うと、抱きしめてあげたくなります。この衝動は「見えない手」となって、ベッドの上の踊り子さんを優しく抱きしめます。私の魂が抜け出し、踊り子さんを包み込みます。
好きな踊り子さんに会えた喜び、すてきな裸体を近くで感じられる感激、素晴らしいステージから得られた感動、こうした全ての感情を踊り子さんと共有したいと思う。心で観て、心で感じているからこそ、心を伝えたい。私の魂と踊り子さんの魂を重ねたい。そんな願望が「見えない手」となって、大好きな踊り子さんを包み込もうとする。そこに、ストリップにおける「真実の愛」があります。
4. 「Let It Go」(あるがままに)は今の私の生き方そのもの
私は愛すべき家族を持っていた。趣味としてストリップに嵌ったが、ストリップのために家族を捨てるなんて考えはこれっぽっちも持っていなかった。ところがストリップに嵌ると時間が割かれる。劇場に行くために「今日は仕事で残業した」とか「今日は休日出勤する」など言い訳をし、次第に生活の中に嘘が多くなる。嘘は必ずバレる。「ストリップは単なる遊びだ」と妻に言い訳しても聞く耳を持たない。最終的に妻は家を出て行ってしまった。
子供が小さいまでは専業主婦だったから良かったものの、次第に子育てから手が離れ、看護師の資格を活かし病院に勤め出してからは妻は強くなった。私の稼ぎに頼らなくても生きていけると判断し、エルサのように家を出て、自分の城を作った。まさしく女性監督ジェニファー・リーの生き方である。
一方、私はストリップのために家族も仕事も捨ててしまった。それが私にとっての「あるがままに」であった。
主題歌「Let It Go」の最後の歌詞は「少しも寒くないわ」という台詞で終わる。私も今のストリップLIFEは全く淋しさなんか感じない。家族がいなくても、今は少しも困らない。仕事がないと収入減がなくなり困るが、今のところ退職金でストリップ漬けの生活が可能になっている。家族や仕事があるときはどうしても時間に制約されて、好きなストリップにのめりこむことができなかったが、家族と仕事から解放されることでそれが可能となった。だから今の生活に100%満足している。時間も労力もお金も全てストリップに注ぎ込むことで私の「あるがままに(=わがまま)」は完結している。
以上が、アナ雪を通して私が感じたストリップ論です。
平成30年3月頭 大阪東洋ショーにて
H30.3東洋にて
『雪の女王のアナ(&アナル)』
~前田ののさん(ロック所属)の演目「のの雪」を記念して~
ボクは「アレンデール王国」と書かれた看板の売春宿にいた。最近、新装開店して、ディズニーのお姫様を源氏名にしているらしい。ディズニーのお姫様みたいな女の子がいたらいいなぁ~面白そうなので入ってみた。
受付にオーケンという管理人がいた。値段を聞いたら4000クオーネと言う。「以前は1000クオーネだったじゃないか!」とボクが言うと、「新装開店して高級店になったんですよ。値段が高くなった分、女の子の質もよくなりましたよ。お客さん、いい子を付けますからね。」と慇懃に答える。ボクは黙って4000クオーネを払った。
オラフという従業員がかいがいしくボクを部屋まで案内した。途中「今日ご案内するのは最近入った女の子です。すごく綺麗で、びっくりすると思いますよ。」と調子のいいことを言う。
オラフがノックすると部屋のドアが開く。エルサという娘が今夜の相手だった。
ボクはその娘を見て、こんなに綺麗な子は見たことがないと思った。金髪で絶世の美女。彼女が相手なら4000クオーネなんて全然高くない。
21歳と若い。ルックスに負けず、ヌードもきれい。色白で、おっぱいもお尻もふっくらとしている。パイパンが眩しかった。たまらなくそそられた♡
ただ、部屋の中がクーラーが効き過ぎているのか、すごく寒かった。きっと北欧の娘だから、寒いのが当たり前なのだろう。いくら暑くてもクーラーが苦手といって、暑い中で相手したこともあったから、その逆もあるだろうと勝手に納得した。なによりも、こんな綺麗な娘を相手にするのだから寒いとか暑いなんてどうでもいい。じきに身体を触れていれば温かくなるさ!と思った。
案の定、彼女は私の顔に自分の顔を近づけてきた。唇を重ねる。一瞬ひやっとした。なんか死体か幽霊とキスをしている気分になったが、目の前の綺麗な顔を見詰めると寒さなんか吹っ飛んだ。冷たいとか寒いと感じたのも最初の一瞬でだんだん気にならなくなった。
さっそくお風呂で身体を流すことにする。えっ! お風呂に氷が張っているではないか。
エルサはニコッと笑う。私は何も言えずに黙って風呂に、いや氷風呂に浸かった。
ひえぇー
身体が縮みあがった。
風呂から上がったボクの身体をエルサがバスタオルで拭く。そしてベッドに誘う。
「前のアナにしますか? 後ろのアナにしますか?」エルサは尋ねる。
ボクは身体が縮みあがっていて、それどころではなかった。
「大丈夫です。私が硬くしてあげます。」 エルサはそう言うとボクのものを掴んで息を吹きかけた。周りの空気に含まれている水分がボクのものに付きだして、氷の粒が白く覆いだした。またボクの中に流れていた血も局部的に固まり出した。たしかに、ボクのものは凍って硬くなった。
エルサがボクにおおいかぶさってきた。彼女の身体はひんやりした。
彼女は硬くなったボクのものを手で掴んで自分のアナに入れた。前のアナか後ろのアナか、よく分からない。ただ彼女のアナは雪の結晶のように美しく輝いて見えた。
あぁ~彼女は「雪の女王」なんだ。漸く気が付いた。しかし、時は既に遅かった。
エルサとのSEXは全く感じなかった。本来血の塊である性器が凍っているのだから、感ずるはずがない。やはりSEXは熱い血が重なり合うから快感を呼ぶのであり、血の通わないSEXに快感があるわけがない。
ボクは彼女の美しさに参ってしまった。まさに彼女はCool Beautyだった。しかしCool Beauty だけではダメだ。Cool Beauty with hot Heartじゃないといけない。
もう雪女とのSEXはコオリコオリ(氷氷)、いやコリゴリだ!
ボクは今更ながら、頭の中で何度も反芻していた。
おしまい