他人の視線が気になる?電車内でのマナー「儀礼的無関心」 | 中卒ひきこもりニートから始める介護士(10年目)

中卒ひきこもりニートから始める介護士(10年目)

高校中退後、ひきこもりを経験し20代後半で介護士になりました。老健に勤務。
私の経験を誰かの役に立てたいという自己満足でブログをしております。
(介護福祉士・一児の父)

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電車内やエレベーター内で他の人の視線が気になった事や、自分がどう見られているか気になった事はありませんか?
 
目のドット絵
 
実はそれは臆病さや自己肯定感が低いわけではなく、人間としてのごく自然な感情なのです。
 
「儀礼的無関心」という言葉があります。
 
儀礼的無関心とは他人同士が居合わせる公共の空間で求められる態度のことです。
 
より分かりやすく言い換えるなら、電車やエレベーター内でのマナーといったところでしょうか。
 
マナーの内容を説明するために、具体例を挙げてみます。
 
例えば電車内で目の前の人をジロジロ見たり、空いているのに不必要に近づく。
 
これらの行為は「他人に関心を持ちすぎている。」としてマナー違反です。
 
興味を示された他人は不愉快になるでしょう。
 
緑の電車のドット絵
 
逆に他人に無関心過ぎてもマナー違反になります。
 
電車内で大声で話したり、化粧をする。
 
これらは他の人を全く気にしていない行為で、他人の尊厳や感情を無視した行為だからです。
 
当然他人は不愉快になります。
 
儀礼的無関心として求められるのは「電車内に他人が入ってきたらチラッと見る。」程度のリアクションなのです。
 
相手を見ることで「あなたの存在を認めていますよ。」というアピールになります。
 
相手を見続けないことで「あなたに何もしませんよ。」というアピールにもなります。
 
普段から私たちが無意識に行っていることですが、これこそが儀礼的無関心なのです。
 
ちなみに儀礼的無関心は人間の本能的な行動ではなく、
生きていく中で身についていく行動とされます。
 
みんな他人の視線が気になるし、ちょうど良い距離感を測っているんです。
 
 
私も電車内で他人の視線が気になる時があり、その時は「みんなも気になってるから。」と自分に言い聞かせます。
 
暫く言い聞かせていると気持ちが楽になってきます。
 
何事も気にし過ぎることも気にし過ぎないこともせずに、中間がちょうど良いのかもしれません。
 

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駄文失礼しました。
最後まで読んで頂きありがとうございます(^_^)