国内では特別な土地という感じのする「京都」というところ。


そりゃね、昔は都が置かれてたワケですから


まあ、当たり前と言えば、当たり前なんですが


もっと掘り下げてキチンとした理由を考えてみると、


いにしえの日本がたくさん残っているからではないでしょうか?


あれだけの歴史的な遺産が現存しているのは


実は戦争の影響が非常に少なかったから。


戦火にさらされる不運に見舞われなかったことが


時代を連綿と伝えることにつながったんですね~。


京都は訪れて楽しいだけじゃなく、とっても貴重な場所なんです。


しかし、それが「藍染」と、どのように絡むのか・・・。


実際の話、「藍染」という技法で全国的に有名なのは


阿波踊りでもおなじみ瀬戸内四国は徳島のはず。


イヤハヤ、何だかややこしくなってきましたが、


これは要するに、例えるなら「生みの親と育ての親」という


聞けば納得のお話へと進んで行くんですが、


盛り上がってきたところで、含みを持たせて引きずるのが


このブログの良いところでもありますね。


その美しい色合いと同じように、深みのある「藍染」の謎、


次の更新では、果たしていかなる展開となりますことやら


それでは、しばしのお別れ!

シンプルな優れものだった「藍染」は、中国から伝わると同時に


大変な勢いで日本中に広がっていったそうですが、


藍染関連では生産・消費ともに日本一だったと言われるのが


阿波踊りでも有名な四国の徳島県。


何せ徳島藩の御用達みたいな位置付けだったようですから


布を藍で染める作業は「公務」っていう感覚だったのかも。


要は「藍染」の持つ効果が認識されていた証拠。


染料自体が防虫・殺菌作用を備えているばかりか


藍染の着物を1枚タンスに入れておくだけで


他の衣類も虫に食われる心配がなかったとか


戦の時には鎧で蒸れるから、藍染の肌着が必須だったとか


伝説のようなお話がゴロゴロしています。


もちろん、何度か洗ううちに風合いが変わってくるなど、


ファッションとしての楽しみも藍染にはありますけどね。


まあ、藍染が一大旋風を巻き起こした当時の日本は


戦国から江戸時代にかけての変革期。


となれば、機能性や実用価値の高さという点が評価されて


怒涛の如く万人にもてはやされたんでしょう。


「藍染」の伝来~定着までは、ザッとこんな感じかな。


それが何ゆえに京都という場所で発展していったのか?


実はちゃ~んと理由があるのですが、その説明はまた次回。

今までのエントリーを読んでくれた人たちは


私があまりに「藍染ってのは、どうたらこうたら」と言うもんで


「コイツ、宣伝ばっかりじゃんよ」とか感じてると思いますが


ハッキリ言ってその通りです!(威張ることじゃない)。


ただね、私だって最初は半信半疑だったわけで


動機としては、単純に足のウラで悪さをしている奴らを


何とか懲らしめられないかと、頭をひねって考えてただけ。


実際、この「水虫快足」、割といいお値段なんですから。


薄給のサラリーマンとしては、結構な大人買いでしたとも。


つまり、それだけ私は奴らのせいで苦境に立たされてたんです。


薬を使ってもダメだったし、皮膚科を訪ねたこともありました。


でも、これは皆さんそうだと思いますが、長続きしない。


生活に溶け込む形で何かできないかと考えていた時に


見つけたのが、この「青い戦士たち」だったんですね。


想像以上の効果にビックリしながらも1ヶ月が経過した今、


私ごときのブログを真剣に読んで下さっている方々に


いよいよ販売元の紹介をする時が来たようです。


試してみて良い結果が出ていなかったら、


こういう展開には絶対にならなかったでしょう。


彼らが京都から来たということは最初の方でお伝え済み。


それじゃ、京都の一体どこなのかと言うと、


本日解禁、お店の名前は「京都本藍染 藍のうた屋 」。


サイトを覗くとわかりますが、正真正銘の老舗っぽい。


土地柄もあるんでしょうけど、独特の雰囲気を感じます。


さて、京都で「藍染」ってのはどうなんでしょう?


ハイハイ、またもや疑問が一つ、出てきちゃいましたね~。


次回からは「藍染の謎」って感じでいってみましょ!