シンプルな優れものだった「藍染」は、中国から伝わると同時に


大変な勢いで日本中に広がっていったそうですが、


藍染関連では生産・消費ともに日本一だったと言われるのが


阿波踊りでも有名な四国の徳島県。


何せ徳島藩の御用達みたいな位置付けだったようですから


布を藍で染める作業は「公務」っていう感覚だったのかも。


要は「藍染」の持つ効果が認識されていた証拠。


染料自体が防虫・殺菌作用を備えているばかりか


藍染の着物を1枚タンスに入れておくだけで


他の衣類も虫に食われる心配がなかったとか


戦の時には鎧で蒸れるから、藍染の肌着が必須だったとか


伝説のようなお話がゴロゴロしています。


もちろん、何度か洗ううちに風合いが変わってくるなど、


ファッションとしての楽しみも藍染にはありますけどね。


まあ、藍染が一大旋風を巻き起こした当時の日本は


戦国から江戸時代にかけての変革期。


となれば、機能性や実用価値の高さという点が評価されて


怒涛の如く万人にもてはやされたんでしょう。


「藍染」の伝来~定着までは、ザッとこんな感じかな。


それが何ゆえに京都という場所で発展していったのか?


実はちゃ~んと理由があるのですが、その説明はまた次回。