京都で「藍染」が円熟した理由を説明しようとしてて
先日は風邪をひいて体調を悪くしちゃったんですが
今日はたっとという感じで、その続きをお届けすることにしましょう。
とは言っても、何となくこうなんじゃないかなという想像。
戦争が影響してるってのは前にも言った通りですが、
つまり、戦争の被害がなかった京都だからこそ
「藍染」もキチンと育てられたのではないかと思うのです。
あんなに大きな建造物が残っているくらいだから
伝統の技だってシッカリと発展することができたはず。
現に、「藍染」と同じ染物では「京友禅」が、織物では「西陣」などが
今でもたくさんの人たちを虜にしてるじゃないですか。
まとめてみると、徳島を中心に各地へと散った「藍染」は
長い月日を経る間、様々な変化に出逢いますが、
全国でも特に京都では自然な形で「藍染」が定着化して
他の染物や独自の織物と共存して現在に至る、みたいな
そんな変遷があったのじゃなかろうか・・・と。
これが前にチョット言いかけた「生みの親と育ての親」に
「藍染」の経歴をなぞらえようとしてた理由です。
説明するまでもなく、徳島が「生みの親」で京都が「育ての親」ね。
全くの想像なんで、信憑性は皆無だけど。
日本中のご当地名物とか、お国自慢なんていうのは
案外そんなところに、それぞれの理由があったりして!?
「水虫快足」は本当に色々と考えさせてくれます。